ラブブレス




「おはよう、セナ」
 空気が冷たいと思うようになったある朝。
いつもと同じにセナの肩に触れようとして、まもりはかすかな反発を感じて指先を引いた。
「あっ、まもり姉ちゃん触っちゃ駄目!」
 後ろに立つまもりに気付いたセナが己を抱きしめ距離をとる。セナのその様子に、触れる直前に感じた物がなんだったのかまもりにも分かった。
「そっかぁ、もうそんな季節なのね」
「いつもごめんね、まもり姉ちゃん。でも…」
「分かってるから気にしないで。少しの間だもの」
 セナを猫可愛がりしているまもりにとって寂しい季節がやって来たのだ。なんとかしてやりたいが、この事に関して出来る事は限られている。
「そうだわ、アメフト部の皆にも言っておくわね」
「自分で言うからいいよ」
「先に知らせておいた方が後が楽でしょう?メールで送っておくから」
「…ありがとう、お願いするね」
 どうせ朝練で顔を合わせるのだからその時でもいいような気もするが、自分を気遣ってくれるまもりの気持ちは嬉しかったのでセナはその言葉に甘えることにした。
「おっすセナ!」
 モン太の元気な声にセナの体が無意識にすくむ。が、身構えた体にはなにも起こらなかった。
 そろりと振り返った先には両手を挙げるモン太がいた。
「まもりさんからのメール見たぜ。大変だなぁ」
 モン太の口調には労りだけが満ちていた。
「面倒かけちゃうけどゴメンね…」
 これから続くひと冬のことを思うと、我ながら厄介でしかないとセナも申し訳なくなる。
「気にすんなって」
 笑ってくれる友達に嬉しくなる。今まで仲の良い友達という存在のいなかったセナは、嫌な顔をされた記憶しかなかったからだ。
 その後もまもりによって送られたメールのおかげで皆が知るところとなり、これなら迷惑をかけずにすみそうだと思った時にそれは起こった。



 着替えた皆は出ていったがセナは出ていけなかった。一人で出来る練習もあるが、そればかりというわけにはいかない。
 指導はどぶろくがしてくれるが練習メニューはヒル魔が組んでいる。ヒル魔にもまもりからメールがいってるはずと、セナは着替え中のヒル魔をじっと待った。
「何してる。さっさとグランド行ってこい」
「えっ、あの…新しい練習メニューをですね…」
「テメー、俺の組んだメニューに不満があるのか」
「そーゆー訳じゃっ」
 動揺したセナの手がとっさにヒル魔に伸びたその時。
 バチッ
「……っ」
「ごっ、ごめんなさい!大丈夫ですか、ヒル魔さん?!」
 慌ててセナが見上げると、ヒル魔が顔をしかめてセナと自らの手を交互に見ていた。
「い、痛いですか?赤くなってたら冷やしたほうがいいですよっ」
「いらねー」
「でも…」
 結構派手な音がしたし、セナにもそれなりの衝撃がきたのだからヒル魔にはそれ以上だったはず。
 セナの大好きで大事なヒル魔の手だ。早く冷やすなりなんなりしてほしい。なのに、ヒル魔は手を握ったり開いたりを繰り返し動こうとしない。
 いつもならそんなヒル魔でも引っ張っていく事が出来るのに、今の衝撃を感じてしまったセナは触れることさえためらわれてもどかしさだけが募る。
「ヒル魔さん、痛かったしょう?早く手当しましょう?あっ、まもり姉ちゃん呼んできますから」
「待て」
「だって…」
 ヒル魔が何も言わないことで、今まで投げ付けられた言葉の数々が思い出されていく。セナの中で悪い想像だけがどんどん膨らんでしまっていき、涙まで浮かび始めたがそれに気付く余裕もなかった。
「情けねぇ顔すんな」
「だって……」
「ちっとばかり驚いただけだ。それより、何だこれ」
「えっ、まもり姉ちゃんからメールいってませんか?」
「来てねぇ」
「あれ??」
 全員に送ったって言ってたのにと首を傾げるセナだったが、急に後ろに身を引いた。普段の鈍臭さ(試合時除く)からは信じられない素早さにヒル魔の眉間にシワがよる。デコピンの形になったまま固まった手が引かれる。
 とっさに避けたものの、触られるのが嫌だからではない。むしろヒル魔を避けてしまった自分に泣きたくなっていた。
『なんで避けちゃうんだよバカバカ!でも避けないとヒル魔さんに痛い思いさせちゃうし!でもでもでも!』
「僕に触るとやけどしますよっ!!!」
「………たかが静電気で、んなことあるかよ」



 結局あの後一人で出来る練習メニューを言い渡され、夕方もセナは走り込みに出された。
 そして部活終了後。
「手、痛みませんか?」
「言ったろ、たかが静電気だって」
 向かい合って座ったヒル魔さんはヒラヒラ手を振り呆れたように首を竦める。だってヒル魔さんは『たかが』って言ったけど、心配で気になって仕方ない。
「分かったから黙れ」
「………僕、声出してました?」
「うるせーくらい全部顔に書いてある」
「顔にって…それって『うるさい』になるんですか?」
「ウザさは似たようなもんだ」
「ひどい…」
 心外とばかりにヒル魔の眉が上がる。
「言わなくても伝わるんだから有り難く思え」
「えー、なんか違う気がします」
 確かに表現力に自信はないが偉そうに言われると有り難さも薄れるというものだ。
「どこもなんともねぇよ」
 確認しろとばかりに目の前で広げられた手をじっと見る。本当は触れて安心したいんだけど、それでまた痛い思いさせちゃうなんてできないからガマンした。
「良かった…」
 セナより大きな手のどこにも赤くなってる場所はなかった。
 いくら大丈夫だと言われても抜けなかった緊張がやっと解ける。
「それにしても、あんな派手な静電気ってのはありなのか」
「それは相手にもよりますけど…」
「そういや俺も飼ってるな、パチパチ君」
 ヒル魔の少しおどけた言い方にセナが微笑む。
「僕はセーターとかにパチパチ君飼ってましたね。でもこんなにすごくはなかったのに」
 中学1年の冬。
「すれ違ったクラスメートが叫んじゃって僕も驚いたんです」
 袖口近くがかすったらしく、相手の手首がうっすら赤くなっていた。
「最初はどうしたのか分かんなかったんですけど、手首近くで火花が見えたって言い出す子がいて」
「火花ぁ?」
「火花っていうか、電気が走ったような光が見えたって」
「で、テメーのせいだと?」
 誰も触って確認する勇気はなかったようで、二人それぞれに金物を持たせたところ。
「テメーのせいだと言われた訳か」
「バチバチきちゃったんですよね…」
 まーそれからというもの、寄るな触るな近づくなと危険物扱い。
「どうも制服の生地と相性悪いらしくて」
 私服だとそれほどでもないのに、制服を着たとたんにバチバチ君に早変わりしてしまうのだ。
 セナとて自覚してから気をつけて行動するようになった。だが『学校』という集団生活を強いられる場においては、どれだけ注意しようと限界はみえている。ひどい時など、セナが触れてもいないのに『お前がさっきドアに触ったからだ』とまで言われた事もあった。
「もうイジメの域だな」
「さすがにそれは1回きりですけど」
 そんな3年間を経験したセナだから、今朝自室のドアノブから伝わった感触に恐怖した。
 教室では気をつけることができても、部活となればそうはいかない。接触無しですむスポーツではないのだ。
 泥門の制服は学ランではないが『制服』には違いなく。また派手な静電気をためないとは言い切れない。
 もし生地と相性が悪かったら。
 もしチームメイトに触れてしまったら。
 嫌な思いをさせてしまうかもしれない。
 望まずとも傷付けてしまうかもしれない。
 ……嫌われてしまうかもしれない。
「なるわけねーだろ」
「分かんないじゃないですか、ひと冬ずっとですよ?」
 制服でなければマシとはいえ、学校へ私服で登校はできない。大人し目の反応だったジャージやユニフォームで過ごすのも人目を考えると恥ずかしくてセナには無理。
 こうなると、出来ることは一つ。
 『近づかない・近寄らせない』
「出来るわきゃねーだろ」
「だってそれしか思い付かないし…」
「除去グッズとか」
「ダメでした」
 セナも色々試してみては効果無しを繰り返し、今は完全に諦めモードである。
「テメーはそれでいいのか?」
「いいもなにも」
 セナだって治められるなら治めたい。だがその方法が分からない。
 セナが俯いてしまい、言葉も途切れた。
 しばしの沈黙をヒル魔のため息が破った。
「……何とかするか」
「…………えぇっ?!何とかって、ヒル魔さん?!」
 耳に飛び込んできたヒル魔の声にセナの顔が上がる。
「静電気なんてモンはな、電気を逃がせりゃ何とかなるだろ」
「でも、今まで色々試しましたけど」
「今まではな。これから別のモン探しゃーすむ話じゃねーか」
「探すって、ヒル魔さんが?」
「なんで俺が?」
「ですよねー…」
 自分が必要とする事はとことん吸収するが、不要となれば最低限にしか労力を振り分けないヒル魔をセナも承知している。おそらくその分野方面にツテがあるのだろう。
 セナの期待と不安が混じる瞳に見つめられ、ヒル魔が視線を外した。その仕種がらしくなくて、セナがそっと覗き込こもうとしたら目の前に手がかざされた。
「ヒル魔さん?」
「当たるとテメーも痛ぇよな」
「そりゃ少しは…」
「ならこれ以上はやっぱ無理だな」
 見るなとセナの目元を覆うように、だが触れないヒル魔の手がセナの顔に影を落とす。
 大好きな手がくれるはずの温もりが遠い。
 自分の体質のせいだからセナが我慢しないといけない。分かっていても、いつもと違う縮まらない距離が寂しい。
 そうだ分かっている。たとえ痛みが走ろうとも触れて欲しいなんて、ただのワガママだ。
 込み上げる言葉をのどで抑える。
「…出来るわけねーだろ」
 ため息に紛れるくらい小さな声。その何かを堪えるような響きがセナの胸の奥を揺さぶった。
 そして10センチ程離された指のすき間から見えた微苦笑。
「ひと冬もテメーに触れねーなんて我慢出来ねーよ」
「………」
「毎年冬は来るんだ。その度こんなん繰り返すのかよ。やってられっか」
「………」
「おい泣くな。…触りたくなるだろ」
「…だって」
 抑えたはずの気持ちが溢れてセナの頬を伝う。
「俺が我慢すんだからテメーも我慢すんだよ」
 駄々っ子みたいな言い方に笑ってしまう。気持ちが軽くなっていくのが分かる。
 セナの気持ちなんてヒル魔にはお見通しなのだ、全部。なら我が儘ついでにその優しさに甘えてしまおう。
「…ヒル魔さんが何とかしてくれるまで?」
「おー」
「ヒル魔さんならあっという間ですよね?」
「お、おー」
「1週間くらいかな?あっ、ヒル魔さんならそんなにかかりませんよね。もしかしたら明日には出来てたりして!待ち遠しいなぁ」
「テメー…」
 ごめんなさい、でも頑張って下さい。セナは心の中で見知らぬ犠牲者に合掌とエールを送った。
「『ヒル魔さん』が何とかしてくれるって言ったんですよ?」
 苦労するのはヒル魔さんじゃないけれど、そこはあえてスルーで。プレッシャーをかけまくるようにニッコリ笑う。睨まれても怖くないです。だってヒル魔さん、目の奥が笑ってる。
「後で覚えとけ」



 数日後、輪ゴムっぽいものがセナに手渡された。
 もらった時は疑ったセナも、同じ物を着けたヒル魔と触れても何も起こらない事を確認して歓喜の涙を流した。
 当然、自分達にも寄越せと部員(+アルファ)がヒル魔に詰め寄ったが、2つ出来た時点で製作者が倒れたので次はいつ出来るか分からないと突っぱねられた。何故か科学部が全員倒れたと噂だったので嘘ではなかろうと、部員(+アルファ)は次の完成品の獲得順を巡って熾烈な争いを繰り広げていた。
 ただしヒル魔が『次の完成品』を本当に作らせる気があるかは誰も知らない。



                                 2009. 3. 2

                                   Fin.



静電気、第二弾(笑)
3月って春ですね。でもまだ寒いからイイよね!
ちなみにまもりさんは「痛い目に会えばいい」と黙ってた模様です。
ネタの段階では、ヒル魔さんが壊れてました。
セナ視点だと、うちのヒル魔も
それなりに男前に見えますね。