宵待ち




   雑居ビルの谷間を通り抜け、塀を越えフェンスをくぐる。
   楽しかった散歩から帰ってきたのに、待っててくれるはずの相手が
   見当たらない。
   パタン、パタンと揺らしていた尻尾をたらす。
   「・・・ヨーイチさん、いつ帰ってくるかな・・・」
   僕はその場で丸くなる。
   出かけた相手が戻ってくるのを待つために。

   僕の名前はセナ。
   捨て猫だった僕は、ヨーイチさんに拾われた。
   小さい頃のことはぼんやりとして覚えていない。
   けれど彼に出会った日の記憶は鮮明だ。
   雨が降りだし暗くなってきて、さみしくて冷たくておなかがすいてたと
   思う。鳴きつかれて声も出なくなってきたその時。
   ふと顔を上げたら、そこにヨーイチさんがいた。
   僕が入ってた箱の横には明りがあって明るかったけど、その明りの
   まわりの闇はかえって深かったが、彼はその闇の中にあってもなお
   僕の目にはキラキラと映る。
   その日から、彼が僕の世界の中心になった。

   まどろみながら僕は過去を振り返る。
   初めてヨーイチさんと出会った時、目が離せなくって見つめていたら、
   近づいてきた彼は僕の首をくわえて自分のねぐらに運んでくれた。
   エサを与えてくれて、毛繕いをしてくれて、一緒に眠ってくれた。
   母猫のように甲斐甲斐しかったけれど、ヨーイチさんはれっきとした
   雄だ。
   すらっとした細身の体型、金色の目、艶々とした漆黒の毛並み。
   そして、長くしなやかな尻尾が二本。
   ヨーイチさんは「猫又」だった。

   僕はヨーイチさんの尻尾が大好きだ。
   ゆらゆら揺れる尻尾を見てると、前足がウズウズしてしまい、ついつい
   飛び掛ってしまう。
   まだまだ子供だなって後でからかわれるのは分かってるんだけど。
   でも、つい前足が出ちゃうって知ってるんだよ? なのに仕掛けてくる
   ヨーイチさんも悪い。 だから興奮した僕がうっかり尻尾かんじゃうのも、
   僕じゃなくってヨーイチさんのせいだ。
   そういえば、このクセのおかげで僕はヨーイチさんと番(つがい)に
   なったんだった。



   僕が最初に連れて行かれたヨーイチさんのねぐらは、お寺の縁の下
   だった。
   ちょうどその時期、人間に飼われている猫にも子供がいたらしく、
   僕が仔猫の時には、そこの人間にエサをもらったりもしていた。
   ヨーイチさんは面倒を見てくれたけれど、何をするのもどこに行くのも
   駄目だと言われた事はあまりなかった。
   だから飼われてる猫の仔達とも遊んだし、お寺の外に出てもみた。
   迷子になってしまったりもしたけれど、そんな時は必ずヨーイチさんが
   迎えに来てくれた。
   そして周りが親離れ子離れしていくのを見て、僕もそうしなければ
   いけないのかと思いだした。寺を離れていく若い猫たちが、口々に
   言った言葉があったから。
   『親子じゃないのに何故一緒にいるのか』
   『猫又が怖くないのか』
   『雄同士でいるのはおかしくないか』
   出会った時から僕の世界はヨーイチさんを中心に動き出した。
   だから何故一緒にいるのかとか、怖くないかとか、雄同士でいるのは
   おかしくないかとかは思いつきもしなかった。
   外の世界がどうだろうとも、僕の世界はヨーイチさんが全てだったから。

   『ヨーイチさんはこれからの事を言った事が無い』

   それに気がついた時、初めて僕は怖くなった。
   ずっと一緒にいるのだと思っていた。言葉にはしなかったけれども。
   蝉の声がうるさい夕暮れも、枯れ草を踏み分けて歩いた木漏れ日も、
   丸まった身体に包まれて眠る雪の日も、優しい匂いの若葉の中での
   散歩道も。ずっと続くと信じていた。

   ヨーイチさんの口からいつか聞かされるかもしれない分かれの言葉が
   怖くて、少しずつ話す事が減って言った。
   もとから饒舌ではないヨーイチさんとの会話は、僕が切り出さなければ
   始まらない。
   自分でも態度が不自然だと分かってはいたけれど改める事もできず、
   期待と不安の間で感情の振り子が大きく揺れる日が続いた。

   目の前で揺れる尻尾。
   かまってもらう嬉しさと、子ども扱いのような不満と、全てが消えてしまう
   という薄ら寒さと。色んな感情が自分の中で破裂しそうになったその時。
   前足で軽く抑えていたソレを思い切り。
   ガブッ!
   『痛ぇーっ!!!』
   噛んだ。
   次の瞬間、ビシビシッともう一本の尻尾で往復ビンタをかまされた。
   『何しやがる、この糞ちび!!』
   かなり痛くてうっすらと涙がにじむ。
   『言いたい事があるなら口で言いやがれ』
   口より先に尻尾が出るヨーイチさんに言われたくないよ!
   『・・・僕、ヨーイチさんに頼りきりですよね』
   『あ? 別に頼りきりって訳じゃねーだろ』
   『でも周りはみんな、親離れしちゃいましたよ』
   『俺はテメーの親か?』
   『違いますけど・・・ でも雄同士だし』
   『気になる雌でもいるのか』
   『そんなんじゃないです。でも・・・』
   目を薄くして僕を見ていたヨーイチさんの両目が光った。
   『でも、なんだ?』
   『・・・ヨーイチさんは猫又だし』
   その瞬間、空気がピリッとした。
   『俺が猫又だからどうだって、セナ?』
   ピリピリした空気は彼から流れてくる。こんな雰囲気のヨーイチさんを
   初めて目にして、自覚は無かったが身体を震わせた。
   『今頃俺が怖くなったか。もう一緒は御免か』
   そんな事は無いと言いたかったが、竦んで声も出せない。
   立ち上がるヨーイチさんから目をそらせずに、徐々に近づく姿が目の前に
   来るのをただじっと待つ。
   『逃げたけりゃそれでもいいんだぜ? お前の足は俺より速ぇからな』
   口元からキラりと牙を覗かせて顔が寄せられる。
   僕の唯一の取り柄は確かに足が速いことだったが、逃げる気なんて
   さらさら無かった。
   例えどんなに気配が怖くなろうとも。
   その爪が、その牙が、その妖力が僕に向けられたとしても。
   『・・・逃げません』
   小さいがはっきりと返す。
   『ヨーイチさんが僕の世界の全てです。なのに何故、ヨーイチさんから
   逃げないといけないんですか』
   軽く目が瞠られる。
   『ヨーイチさんに僕なんか要らないって言われるのが一番怖い』
   その目に浮かぶ感情を見たくなくて顔を伏せる。
   にじんだ涙がこぼれおちた。
   『ちょっと足が速いだけのただの猫な僕だけど、できるならずっと、
   ずっとヨーイチさんと一緒にいたい』
   でも離れないといけないのなら、
   『ヨーイチさんが僕を嫌いになってくれたら、離れられるかも・・・』
   その時、頭の上でポスッとした感触が落ちた。
   『・・・ヨーイチさん?』
   『何をぐだぐだ考え込んでるのかと思えば』
   頭に乗せられた前足に徐々に力がこめられる。
   『くだらねぇ事考えてんじゃねーよ、この糞ちびーーー!!!』
   ・・・耳がキーンってなってる・・・
   『俺がいらねぇモンを側に置いとくなんざするかってんだ。余計な事
   考えんな。テメーは俺の側にいりゃいいんだよ』
   『・・・よく聞こえなかったんで、もいっかい言ってくれますか』
   『何度も言わせんな阿呆。俺から離れるなんて許さねぇぞ』
   『・・・もいっかい』
   『だから何度もっ・・・』
   言われた言葉が信じられなくて、でもヨーイチさんが嘘を言うはずもなく。
   『泣くんじゃねぇよ』
   苦笑と共に目元を舐められて、自分が涙していた事にやっと気付いた。
   『本当に、いいんですか?』
   『俺が良いってんだから良いんだよ。それともやっぱ離れてぇか?』
   離れたいはずがない。力いっぱい首を振ったら目が回ってしまった。
   フラフラする頭を、それは器用にヨーイチさんが舐めてくれる。
   気持ちよくってうっとりしてしまう。
   『親でも兄弟でもないがな、一緒にいるなら別のモンになればいいだろ』
   『別のモノ? うにゃあ!!』
   耳を甘噛みされて変な声が出てしまった。そのまま耳元から首筋へと
   舐められる場所が移動していく。
   『ヨ、ヨ、ヨ、ヨーイチさん?』
   『俺のモンになっちまえ』
   項を噛まれたと思ったらあっという間に上に乗っかられて。
   そしヨーイチさんは僕を番(つがい)にしてくれたんだ・・・



   その時の事を思い出してしまい、思わず尻尾をばしばし左右に振る。
   あれから何度も季節を越えて、ずっと僕たちは一緒にいる。
   そしてひとつ所に長居はしない。居ても2、3年くらいだ。
   ヨーイチさんの気の向くままに居つく場所を変えていった。

   今日のようにふらっと姿を消す時もあったが、何日かすると必ずセナの
   許へと帰って来た。
   その間セナはその時ねぐらにしている場所で大人しく待つのだ。
   一度だけ、いつもより長引く不在の寂しさに耐えかねて、決められていた
   行動範囲を出てしまった事があった。
   その時セナは死にかけた。
   死ぬのかと思った瞬間は確かに怖かった。
   しかし、自分の身体が冷えていくのを感じると同時に、番となった相手の
   叫びが伝わってきた。
   怒りと、悲哀と、絶望が。
   ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいヨーイチさん。
   セナは謝り続けた。胸が潰れそうなこんな感情を大好きな彼に抱かせて
   しまった事を。
   自分は生きなければいけない。薄れていく意識の中、それだけを自分に
   言い聞かせていた。

   なんとか命は取り留めたが、それ以来セナは待つ時は動かずに眠って
   過ごすと決めたのだ。
   必ずヨーイチさんは帰ってくるのだから、自分は待っていればいい。
   夕焼けが色を変え、空に藍色が広がっていく。
   少し涼しくなった風が僕を撫でていった。
   ヨーイチさんと寄り添って眠る時の暖かさが恋しい。
   だから早く戻ってきて。
   そして僕を起こして。
   いつもと同じように『いつまで寝てんだよ、セナ』って。
   そしたら僕は目を開けるから。

   春も夏も秋も冬も。
   貴方と迎えるためだけに僕は生きている。





                                         Fin.


                                      2006.9.17 



「第2回ヒルセナヨウカイマツリ」への投稿SS。
「ヨーイチさん」の連呼に、自分でちょっと照れました(笑)
文体がおかしいことは分かっています。
分かってるんだけどね・・・

コレを投稿した後でモニタが故障しました。
投稿できてて、ホントーに良かった・・・
(卑怯クサイけど、自分のだからupしてもいいよね?)