「ヒル魔さん・・・」 
            「ここか?」 
            「も、ちょっとずらして下さい・・・」 
            「こうか?」 
            「・・・そっとですよ」 
            「あぁ、もうウルセーなぁっ!」 
            「あーーーーーーーーーっ!!」 
             
             グシャ 
             
            「・・・」 
            「・・・」 
            「だから、そっとって言ったのに・・・」 
             僕は目玉焼きになりそこねた物体を見つめて、ため息をついた。 
             
             
             
             『チャーム』 
             
             
             
             殻混じりの目玉焼き(もどき)を平気で食べてるヒル魔さん。咀嚼のたびにジャリジャリって音がしてる。ヒル魔さんは気にならないのかな? 音がするたび僕のほうが痛い気になってくるから不思議だ。 
            「口の中、おかしくないですか?」 
            「別に?」 
            「殻取ればよかったのに」 
            「カルシウムだ、カルシウム」 
            「そんな無茶苦茶ですよ」 
            「消化されちまえば一緒だ」 
            「えー・・・」 
             それってかなり無理があるように思うのは僕だけかな。 
             自分の皿にもベーコンエッグ。カリカリに焼いたベーコンに、綺麗な形の黄身が乗っている。これはセナが焼いたものだ。 
             フライパンを火にかける。油を引く。ベーコンを焼くまではヒル魔にも出来るのに。 
            「どうして卵が割れないんでしょうねぇ・・・」 
             いざ卵を割るとなると、どうしてか潰してしまうヒル魔だった。 
            「割れてるじゃねぇか。黄身が潰れたって卵に変わりねーだろ」 
            「それはそうですけど」 
             ヒル魔さんのは「割った」じゃなくて「潰した」が正解だよね。だって、卵の殻がたくさん入っちゃってるし。いっそ思いっきり混ぜちゃって、卵焼きにした方がいいような気もする。 
            「お前がアレを割れるって方が不思議なんだがな」 
            「たいていの人が出来る事だと思うんですけど」 
            「そんなはずはねぇ」 
             ヒル魔さんの根拠がどこにあるかは僕には分からない。 
            「じゃぁまた次も頑張りましょうね」 
            「おぅ、俺に出来ねぇ事はねぇよ」 
             言い切るヒル魔さんの顔を見ながら今まで作った目玉焼き(もどき)の数々が思い浮かぶ。いったい、その自信はどこから来るんですかヒル魔さん・・・ 
             
             食べ終わった食器を持って流しへ運ぶ。夕べ使ったマグカップと一緒に洗ってしまおうとして気がついた。 
             洗剤がない? 
             使い切って捨てたのかな? 
             新しい物を出そうとして流しの下の棚を開けたけど、目的の物はそこにもなかった。 
            「ヒル魔さん、新しい洗剤ってどこにあるんですか?」 
            「そこにねぇか」 
            「ありませんよ」 
            「んじゃねぇんだろ」 
            「え、買い置きもないって事ですか」 
             困ったなぁ。この流しに溜まった洗い物、どうしよう。 
            「後で洗えばいいだろ。そこに置いとけ」 
            「はーい」 
             仕方ないので、洗いおけの中に水を張って、浸けておくことにした。 
             そして、ふと思いついたことに口元が緩んだ。 
            「なにニヤけた面してるんだ」 
            「イタイですイタイですイタイです〜」 
            「おーよく伸びるな」 
             手をバタバタさせたら、後ろに立ってたヒル魔さんがつまんだ僕の頬から手を離してくれた。涙目でにらみつけてもケケケと笑うばかりだ。ニヤついてるのはヒル魔さんじゃないか。 
            「どーしてほっぺたつまむんですか!」 
            「つまみやすいから」 
            「だから、どーしてですか!」 
            「つまみたいから」 
             ダメだ。全然答えてくれる気なさそうだ。手で頬をさすりながら、これからはつままれる前に逃げようと思った。・・・多分無理だろうけど。 
            「で、なんで笑ってたんだよ」 
            「えっと、前なら洗い物なんてやらなかったしできなかったなーって思ってたんです。そしたらなんか楽しくなって」 
            「ふぅん」 
             気のない返事に少し、気持ちがしぼんだ気がした。 
             だって、楽しくなったのはヒル魔さんの家で覚えた事だったからだ。 
             
             最初に部屋に入れてもらった時は、複雑な気分だった。 
             テスト前に勉強を教えてもらうという事で、初めてヒル魔さんの家に連れて行かれた僕の頭の中はグルグルだった。足の踏み場もないほど散らかっているのか、モデルルームのようにキレイに片付いているか。どちらもありそうで予想もつかなかったから、いかにも「普通」な部屋を見た時にどう反応したら良いのか分からなくて動けなくなった僕を、ヒル魔さんは変なものを見るような目つきで見ていた。だって「ヒル魔さん」と「普通」って一番遠い言葉だと思ってたから混乱しちゃったんだよね・・・ 
             大量に溜まってはいないが流しに残った食器とか、置いた本人だけが目的物を発見できそうな散らかり具合とか。母さんの強制的な掃除が入らなければ、多分僕の部屋もこんなふうになるんじゃないかって状態が目の前にひろがっていた。なんか生活臭が漂っていて、その「普通」さが部屋の持ち主と結びつかなかったんだと後で考えて思ったりもした。 
             それから家に呼んでもらう事が増えて、食事をしたり泊めてもらったりするうちに段々僕も家事を手伝うようになったんだ。 
             それまで家事なんて母さんに任せきりで何もした事なかったけど、買い物に行ったり、料理をしたり、いろんなヒル魔さんが見れて僕はとても楽しくって、一緒に居られるという事が嬉しかった。 
             ・・・ヒル魔さんは違ったのかな。 
             そんなことを考えていたら、額で鋭い音とともに衝撃がはじけた。 
            ビシィッ! 
            「あうっ!!!」 
            「まぁたくだんねえ事考えてやがるな、テメーは」 
             強烈なデコピンを僕にくらわせた本人は、呆れ顔で僕を見下ろしていた。 
            「うだうだ考えたってテメーの頭じゃ無理だっつーの」 
             えっ、僕口に出してた?! 
            「ないなら買いに行けばいい話だろ。ほら、仕度しやがれ」 
             そっちの話か・・・ あぁビックリした。いくらヒル魔さんでも頭の中は読めないよね。 
             そう行った彼はもう玄関に向かってる。 
             僕もタオルで手を拭きあわてて後を追った。ついでに浮かんだ涙もぬぐっておいた。 
            「デコピンくらいで泣いてんじゃねぇよ」 
             ・・・実はその前からにじんでた涙だったけど、そういう事にしておいたほうがいいよね。だって、理由が恥ずかしいし。 
            「ヒル魔さんは自分のデコピンがどれだけ痛いか知らないから」 
             うらめしそうに見上げてみたけど、やっぱりケケケと笑われた。 
             僕が外に出るのを待って、ヒル魔さんが鍵を閉める。 
             歩き出した彼の横に並んだ僕の頭に、暖かい手がポンと置かれた。 
            「痛くなきゃ意味ねぇだろ」 
             髪がかき混ぜられてくしゃくしゃになった。 
            「止めてくださいよ〜」 
             笑いながら手を止めようとしたけど、さらに両手でもみくちゃにされてしまう。笑ってるヒル魔さんは楽しそうに見える。その横で過ごす時間はすごく居心地がよくって、ずっとこうしていたいと思ってしまう。 
             こんなふうに一緒に過ごすようになって、僕の中でなんとなく感じていた気持ちがやっと分かった。 
             僕はヒル魔さんが好きなんだ。 
             怖いところも、厳しいところも、その中に見え隠れする優しさも。 
             過ごす時間が増えるほど、嬉しいのに不安にもなってしまう。 
             自分は足が速いのだけが取り柄の人間で。どうして自分を側においてくれているのか分からない。 
             でも自分から理由を聞く事もできない。恐くて。 
             だから、口に出せない言葉を心の中だけでささやいてみる。 
             『僕はここにいても、いいんですか・・・?』 
             
             スーパーに着く頃には、そんな感傷気味な気持ちを追いやった。とりあえず目の前の事から片付けなきゃ。 
             野菜や肉がカートの中に次々と放り込まれていく。多少家事ができるようになったといっても、僕には食べ物の品定めなんてできないから、ヒル魔さんにお任せだ。といっても、無造作に投げ込んでいるようにも見えるんだよね。僕の手にしたものには厳しいチェックが入るから、見てることは見てるはずなんだけど。不思議だなぁ。 
             不思議といえば。ヒル魔さんは「できる」けど「しない」人だった。分かっていたというか実感したというか、これも不思議といえば不思議な感覚だった。 
             洗濯時に洗剤を使い分けたり、栄養面での摂取率のいい食材の組み合わせとか調理方法とか、僕が聞くとすぐに答えが返ってきた。健康管理もアメフトをする上では大切な事だから、特に食事に関しては細かい知識を持っていた。 
             しかし、セナが手伝い始めるまでに振る舞われたヒル魔の料理は、ご飯に味噌汁、焼き魚に野菜炒めとメニューが限られていた。 
             煮物が付く時もあったが、出来合いの惣菜を買ってきたものだと知っていた。 
             どうしていつも似たような物ばかり作るのかと聞いてみたら、 
            「めんどくせぇから」 
            という返事が返ってきた。 
             煮物は時間がかかるし、一々組み合わせだの栄養面だの考える時間がもったいない。効率を高めるより量を摂る事で不足しないようにする程度だったようだ。 
             なのに僕が手伝って作るようになると、アレが食いたいコレが食いたいとか言い出したんだ。また、危なっかしい手つきの僕を使って、豊富な知識による的確な指示をしてくれた。口だけだったけど(笑) 
             ・・・甘えてくれてるのかなって、ちょっと嬉しかったんだよね。 
             
             洗剤のコーナーにきた。これは僕も間違えようがない。いつもと同じ物を手にとってカートに入れようとしたら、ヒル魔さんが別の洗剤を入れた所だった。 
            「こっちのじゃありませんでしたっけ?」 
            「いいんだよ、コレで」 
             カートに入れられたそれは、棚に並んでいたほかの物よりも少し大きめで、CMでも見た覚えがないものだった。 
             これのどこがいいんだろう? 
             入れられた物を手にとって眺めていて、ラベルに書かれている説明に納得した。 
            『手肌のうるおいをしっかり守ります』 
             QBにとって、手は最も大事にしないといけないものだ。 
             セナをアメフトへと導いてくれた、魔法のような手。そしてセナに触れてくれる、大好きな大好きな手。 
             手が荒れたヒル魔さんなんて想像もつかないや。 
             その時、ハッと気付いて両手で頬をかばったら、チッと聞こえた。今まさにつまもうとした頬をガードされて、目的が果たせなかったヒル魔の舌打ちだった。 
            「エヘヘ〜もうやられませんよ」 
             気付けた事に得意になって笑った。 
             つまらなさそうな顔がニヤリと意地の悪そうな顔に変わる 
            『あ、マズイ!』 
             頭の中でひらめいた瞬間、鼻をつままれた。 
             なかなか指を離してくれないため、口をプハッとさせて息をした。 
             ・・・どうして僕、この人好きなんだろう・・・ 
             
             会計を済ませ、二人でひとつづつビニール袋を持って歩いた。 
             日々暖かくなって上着も薄手になっていき、吹く風に寒さより心地よさを感じ始めた季節。頬を撫でていった風に目を細めていると、斜め前を歩いていたヒル魔が、空いている手を出してきた。 
            「ほれ」 
             セナの袋には軽めの物が入っていた。なにか今、使うような物なんて入ってたかな? それとも、 
            「コレくらい持てますよ?」 
             さすがにアメフトで日々練習を重ねたおかげで、以前よりも力はついたのだ。もう虚弱でも貧弱でも脆弱でも最弱でもない、はずだ。まぁヒル魔さんに比べたら微々たるものだけどさ。 
             少し悲しく思いながらも荷物を持ち上げて見せた。 
            「誰がそんな事言ったよ、ほら出せ」 
            「?? どれですか?」 
             何を出せと言ってるのか分からなくて、袋の口を開けながら前に出した。 
            「それじゃねぇって言ってるだろ」 
             少しイラついた表情で言われても、分からないものは分からない。 
            「分かんないですよヒル魔さん、何出せばいいんですか?」 
             じれったそうにしていたヒル魔が、あきらめたように息を吐いた。 
            「帰るぞ」 
            「はい・・・」 
             下を向いて、歩き出したヒル魔さんの足元を見て僕も歩いた。コンパスが全然違うのに送れずついて行けるのは、ヒル魔さんがゆっくり歩いてくれているからだと気付いたのはいつだっただろう。 
             今もゆっくりとした速度が嬉しいのに、さっきの「分からなかった自分」が情けなくって顔が上げられない。 
             せっかく一緒に歩いてるのにな・・・ 
            「さっき洗剤買ったよな」 
             前を向いたままのヒル魔さんが言った。 
             ヒル魔さんが何を言いたいかは分からないけど、聞かれた内容は分かったので「はい」と答えた。 
            「手、出せ」 
             今度は言われた事は分かるけど話が繋がらなくって、とまどいながら空いてる手を前に出した。 
            「反対だ」 
             前を向いたままなのに、どうして分かるんだろう・・・ 
             袋を右に持ち替えて左に立つヒル魔さんに手を伸ばしたら、こちらを見てもいないはずのヒル魔さんの右手が僕の手をつかんだ。 
             手を繋いで歩いているという状態が頭に浸透するまで、少し時間がかかった。ジワジワと飲み込めてきた状況に同じ速度で顔が赤くなっていく。 
            「ヒ、ヒ、ヒル」 
            「勢いのねぇしゃっくりだな」 
            「ちがっ! ヒ、あ、こ、手っ」 
             普段以上に頭が回らなくってろれつもアヤシくなってしまう。 
            「日本語になってねぇぞ」 
             苦笑の気配の声が前から聞こえるが、前を向いたままの表情は確かめられない。深呼吸して息を整えてからもう一度聞いてみる。 
            「ヒル魔さん、あの、これ、手を繋いでるって状態ですよね」 
            「そうだな」 
             開店直後のスーパーの周りにはまだ人も少ないが、まったくいない訳ではなかった。すれ違う人の何人かは僕たちを目に留めていったのがわかったけど、そんな事は気にならなかったんだ。 
             
             そしてヒル魔さんの部屋に着くまで、繋いだ手が離される事はなかった。 
             
             
             玄関を開けるために手が離されたけど、まだぬくもりが残っているような気がした。 
             我ながら単純だけど、手に残る感触だけでもうなにもいらないとさえ思ってしまう。 
             だって、あのヒル魔さんが、昼日中に、人目も気にせず、手を繋ぐなんて事をしてくれたんだ。 
             言葉に出して言われたわけじゃない。僕の一方的な思い込みかも知れない。でも、一緒に居ていいといわれた気がして。 
             ホントに僕って単純だな〜。 
             そうだ。 
            「ヒル魔さーん」 
            「なんだ」 
            「どうして洗剤、コレにしたんですか?」 
             ヒル魔が選んだ物を手に取って聞いてみた。 
             その時は説明書きを見て納得したものの、手を繋ぐ前に洗剤の事を言ってなかっただろうか? 
            「洗えりゃなんでもいいだろ」 
            「ヒル魔さん、コレがいいって言ったんですよ」 
             この洗剤のどこに理由があるんだろう? 
            「あー・・・知らねぇならいい」 
            「何がですか?」 
            「もういいだろ。ほら、洗い物片付けちまうぞ」 
            「もー」 
             こうなるとどれだけ僕が詰め寄っても答えてはくれないだろう事を経験上知っていたので、仕方なくその場はあきらめた。 
             いつか理由が聞いてみせると心に決めながら。 
             
             
             そして、いつかはすぐにやってきた。 
            「あら、懐かしい。まだ売ってたのね」 
             家事を手伝うようになった僕を歓迎していた母さんは、聞いた洗剤の名称に顔をほころばせた。 
             いわく、かの洗剤は一昔前に発売され、老夫婦が仲良く手を繋ぐそのCMが大変人気になったのだそうだ。 
            「あんな風にずっと仲良く過ごせたら素敵よねって思ったものよ」 
             そう言って洗い物をしながら楽しそうに歌ってくれた。 
             横でそれを聞いていた僕は、顔がどんどんほてってくる。 
             ・・・ヒル魔さん、この事知ってたのかな? 知ってたから買ったんだよね? それって、うぬぼれてもいいのかな・・・ 
            「ちょっとセナ、顔が真っ赤よ! 熱でもあるの?」 
            「ないない、大丈夫大丈夫」 
             水にぬれた手で頬を押さえながら、もう一度心に決めた。 
             次に呼んでもらった時には、洗剤を選んだ理由を聞く事を。 
             それと。 
             
             自分もずっとヒル魔さんと手を繋いでいきたいと思っている事を伝えようと・・・ 
             
             
                                                 Fin. 
             
                                   2006.5.15 (2006.5.31再) 
             
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      これも「海光星」のガーリンネ様へもらって頂いたSSです。 
      私が「お話」を書こうとすると、 
      キャラがグルグルしてしまうか 
      乙女ちっくモード全開になってしまいます。 
      どうやら私の中身はグルグルと乙女ちっくで出来てるみたいです。 
      恥ずかしいなぁ、もう・・・ 
       
       
       
       
        
       
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