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1.暗い部屋
広い敷地にあるにはこじんまりした家の、その中でも小さめの部屋。
玄関にほど近いそこで、隠れるようにうずくまる小さい影があった。
電気の消えた家内では、月明かりだけが室内を照らしている。
それから月が少し傾いた頃。車が止まる音が聞こえたかと思うと、引き戸が軽く音をたてて開いた。
玄関の電気を着けながら家の奥を伺うように目をこらしている青年からは強い何かが感じられて、それが彼を年齢以上に大きくみせている。だが今はやや疲れがたまっているようだった。
日付も変わった深夜1時に帰宅している事を思えば、それも納得できるというものか。
ニャー
自室で上着を脱いでいると、いつの間に来たのか毛足の長い猫が体を擦り寄せている。
ニーニーニーニー
青年が着替え終わる頃には、部屋のなかは猫でいっぱいになっていた。
「わざわざ起きてくんじゃねぇよ」
そう言いながらも近場にいる猫の喉をくすぐる手は優しい。
キッチンに移動しつつも何か気になるのか辺りを見回して、玄関横の小部屋に視線を止めた。
「・・・そこにいんのか?」
その声に応えるように現れたのは、数いる中でも一番小さく見える猫。
恐る恐るといったふうに顔を覗かせてこちらを伺っていたが、青年が目線で促すと弾むような足どりで寄ってきた。
テーブルの横にいる青年の一歩手前で立ち止まるとじっと見上げてくる。
ただ座って見つめているだけなのに警戒や怯えとほんの少しの慕いが感じられて、青年もどう扱っていいのかはかりかねるようだった。
ここにいるのは取引先から贈られたり友人知人から押し付けられたりした猫達で、気がつけばちょっとした猫屋敷となっていたのだ。世話は通いの家政婦がしているが、猫達はちゃんと青年を飼い主と認識しているようで、家にいる時は常に何匹かが目に入る場所に陣取っていた。
しかし、この小さな三毛猫はちょっと違った。
青年が連れてきたというか、猫が付いてきたというか。
少なくとも、初めて青年から手を差し延べたのには違いない。
ここに連れて来てから2週間。逃げる様子もないが芯から居着いたようにも見えない。
「どうしたもんか・・・」
普段の青年を知っている者が聞けば驚くような気弱な響きの台詞がこぼれた時。
ラップがかけられた夜食の横。家政婦が置いていったらしいメモに気付く。
一言二言しか書かれていないメモに目を通し、足元に視線を移す。
座った位置は青年の足に触れるか触れないかのギリギリだったが、その距離を埋めるように伸びた尻尾の先がためらいがちに青年の爪先を叩いていた。
それを見た青年はいきなり頭をガシガシかくと、「あぁぁもーっ、まだるっこしいのは俺ぁ嫌いなんだよっ!!」と叫ぶと、大声に固まった猫をひょいとつかむと肩に担ぐように乗せてしまった。
固まったままの猫を落ちないように支えなおす。
「行くとこねーならココにいりゃいい。お前は俺についてきたんだ。俺の側に居りゃいいんだよ」
口調こそ乱暴だが、大きな手が柔らかく背をなぜている。
すると、肩に掛かる重さが少し増したかと感じると同時に、耳元からゴロゴロと喉が鳴らす音が聞こえてきた。尻尾もゆったりと左右に揺れている。
にゃー
子猫程高くないが、成猫というにはまろい鳴き声に青年は目を細めた。
「良い声で鳴くじゃねぇか」
初めて聞いた声は青年の耳に心地よくなじんだ。
名前を呼んでやろうとして、まだ名付けていなかった事を思い出す。
脇を持ち上げ、改めて猫の顔を覗き込む。
大人しく抱え上げられていた猫が身じろぎしだした頃。
「ひよし」
呼ばれたと感じたのか、猫の動きが止まる。
「吉なる日で『日吉』だ。忘れんなよ」
にゃ〜
先程よりも高くはっきりとした鳴き声。嬉しそうに聞こえるのは都合が良すぎるだろうか。
「もうあんな暗い部屋に居る事ねぇからな?」
メモには、
『あの猫ですが、暗くなると玄関横の部屋で信長様のお帰りを待つように外を見ています』
と書いてあった。
Fin.
2007.2.24
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