「社長室で待ってるようよ?」
 やだ。
「本当にいいの?」
 やだったらやだ。
「まあ別の猫と間違えて日吉を叱るなんておバカさんだけど」
「そろそろ機嫌、なおしてあげたら?」
 ・・・どうしたって許してなんかやらないんだからな!




5.気配で判る



 いつものように入口の前で『開けて』とお願いすれば、ヒナタは少しだけ開けてくれる。奥からヒカゲがいってらっしゃいと笑って見送ってくれた。
 開けてもらったドアを擦り抜け階段へ向かう。俺が使うようになってから、開けっ放しになったって聞いた。
 今日はゆっくりめに上に向かっちゃおう。お昼寝してたらいきなりちっちゃい人間に抱っこされて、それから寝かせてもらえなかったからさ。でもいいや。殿の側でならもう安心して眠れるし。
フワフワした眠たさの中、目的の部屋へ到着〜。
にゃぁ(開けて下さい)
 カチャっとドアが開く音がして、いつものようにできたすき間からスルリと入った。
にゃ〜(お帰りなさい殿〜)
 部屋に入ると殿の匂いがして、嬉しくってちょっと目が覚めた。机の横に立ってる殿へ近付いてく。
 俺が足元に擦り寄って軽く頭と喉をかいてくれる手を待っていると、いつもと違って首根っこを捕まれ持ち上げられた。 ・・・あれ?
にゃ?(何?)
 ちょっとびっくりしたけど、痛くないように捕まれてるのが分かったから、目の前にきた殿の顔をじっと見た。
 しばらくにらめっこした後に、殿は少ししかめられた表情で息をはいた。
にゃあ?(どうしたんですか、殿?)
 殿の腕は下ろされたけど、まだ摘まれたままの俺は殿の腰近くから顔をあげて聞いてみた。
 でも俺の声にちらっと視線を向けた殿は、何も言わずに俺を摘んだまま歩き出した。
 足が浮いた不安定な格好で運ばれた先は2階下のフロア。
 さっきまでのフワフワした空気はどこかへ飛んでいってた。今はモワモワな感じがする。だって、殿が何考えてるのか全然分かんないんだもん。
 黙って俺を運ぶ殿から怒ってる感じはしないから、かえって分からなくなる。・・・俺、何か気に入らない事しちゃったのかな?



 足が浮いた不安定な格好のまま連れていかれた先は、何度か覗いた事のある2階下のフロア。覚える顔もちらほら見える。
 そのうちの一人が俺を見て表情を変えた。
「ひよちゃん、どうしてこんな事したの?!」
 いつも笑いかけてくれるオネエサンなのに、聞いた事もないキツイ声にビクッとなった。
「まだ日吉ちゃんがやったって決まったわけじゃないじゃない」
 別のオネエサンがそう言ってくれたけど、キリキリした空気は変わらない。
「このビルにいる三毛猫なんてコイツしかいねえだろうが」
 殿の声が苦々しいっと言った感じでかばってくれたオネエサンに向けられる。
「おい、お前がやったんだからちゃんと見ろ」
 上から降ってきた声に頭をあげようとしたけど、首元を摘まれた手によって阻まれる。そしてより室内が見えるように体を持ち上げられた。
 俺に向けられた責める雰囲気にどんどん体がカタクなっていく。
「被害はどの程度だ」
「機械類は無事です。書類がかなり散らかりましたが破れたりしたものは少しですんでます」
「机の上に置いてあった文具も壊れたりはしてないようです」
「そうか」
 あらためて室内を見ると、確かに足元いっぱいに紙が広がっているし、机の上もグシャグシャみたいだった。
殿がホッと息をついて俺を摘んだ手の力が弱くなった。落ちそうになった俺は自分で降りようと体を捻ったが、より強い力でつかみなおされて叶わなかった。
「逃げようったってそうはいかせねぇぞ」
 逃げる? 俺は下に降りたかっただけなのに。
「まだ知らんぷりする気か。コレはお前がやったんだろ」
 コレってなんだろう?
 ・・・もしかして、この部屋の事?
にゃーにゃーにゃー!!! (違う!やってない、俺やってないです!)
「逃がさねぇって言ってんだろ!」
 やっと周りの視線の意味が分かった俺は殿の手から逃げようと暴れたが、近くの机に頭を押し付けられて身動きできなくなってしまった。
「叱られてるって気付くのが遅ぇんだよ」
 フッフッフッという笑い声が聞こえてくる。笑い声なのに怒鳴り声より怖い・・・ なんとか抜け出せないかと踏ん張るものの、殿の力で首を押さえられては無理。でも諦めたわけじゃないよ。
「やっと観念したか。これはお前がやったんだな?」
ふいっ
「・・・ごめんなさいは?」
ふいっ
聞かれる度に顔を背ける。
「まだしらを切るか!」
にゃあーーー!!! (やってないったら、やってないもん!!!)

***************************************

「前田さん」
「んー?」
「だいたい片付けも済みましたし、そろそろ仕事に戻りたいのですけど」
「そーだろうな」
 この部屋のまとめ役が思い切った発言に、ため息混じりの返事が返る。
「アレはもうほっといていいから。邪魔してすまなかったな。仕事に戻ってくれ」
 フロアのあちこちから返事が上がる。その声には、ついさっきまでの固い雰囲気はもうない。今このフロアを包むのは、ほんわか&苦々&生温いといった微妙な空気である。
 発生元はもちろん社長とその飼い猫で、(やや一方的な)怒鳴りあいから猫が無言での抗議体制になると信長も黙ってその前に座り込んだ。それから5分程経ったがいまだ睨めっこは続いている。
 最初は決着を見ようとしていた社員達だったが、時間の経過につれパラパラと関心をなくしはじめた。
 猫と喧嘩する会社のトップ。しかも両者対等(っぽい)。
 気が抜けるのも当たり前である。
「殿ー、そろそろ仕事に戻りませんか」
「コイツが非を認めるまで俺は動かん」
 腕組みして睨み付ける姿は迫力があるが、相手は小さな猫。正直カッコイイとは言えない。
 だいたい日吉の何をもって謝ったとするのか。日吉が「ごめんニャ?」とでも鳴くというなら話しは別だが。
「殿ー、後の仕事がつかえてますよ」
「やった時に叱っておかないと躾にならん」
 ・・・仕事より猫の躾を優先ですか。
 生き物を飼う上では大変良い姿勢だが、時と場所と立場を考えて欲しい。
 今もフロアの年配組は嘆かわしいといった様子で額を押さえたりしている。一方で若手ではにこやかに見守るような目線の者もいれば、子育て中なのか、熱心に(父親側の)信長を応援する男性もいた。
 まあ最初のギスギスした雰囲気よりはましかなと前田はため息をついた。
 そして改めてこの睨めっこを収めるという難題に向き合おうとした時に救世主は現れた。

「日吉さんが暴れたってこちらですの?」
「帰蝶さんまで見物ですか?」
「わたくしがそんなに暇な人間に見えまして?」
「いいえっ、決してそのような事では!」
 筋を傷めそうな勢いで必死に首を振る男を一瞥してから、いまだ続いている睨めっこに目を向ける。
「あら可愛いらしい眺めですわね」
 その朗らかな声に、信長のこめかみはひくついたが動こうとはしなかった。
「ここで引く訳にはいかん」
 実に立派な態度だが、叱ってる相手は部下ではなく猫。
「カッコつけてるおつもりでしょうけど、全然イケてませんわよ?」
「うるせー」
 間髪入れず返した所をみると、信長にも多少は自覚があったらしい。
「日吉さんとのラブ×2中に申し訳ありませんけど、例のお客様の件でご報告が」
「まだ居座ってやがるのか?追い返せと言っといただろ」
 例の客と聞いた途端に信長の眉間にシワが寄った。客は客でも『招かれざる』というヤツだ。
「つい先程お帰り頂きました。もう来られないでしょうね」
「やっとか」
 つめていた息を吐くと、組んでいた腕を解き軽く眉間を揉む。
 天海と名乗った客は何度か勝手に押しかけて来ては、大きな儲け話に乗らないかと怪しげな話を持ち掛けてくる迷惑な相手だった。しかし帰蝶が『もう来ない』と言うなら、そうなるのだろう。相手をする必要がなくなって清々したが。
「・・・何やった、帰蝶」
「わたくしは何もしておりませんわよ?」
 ニッコリと言い切るからには、絶対何かある。
 微笑む帰蝶がなんだか怖くて、社員達は目の前の仕事に集中すべく目を逸らした。
 今度はこめかみを揉みながら信長は無言で続きを促す。
「そうそう、お客様から最後に素敵なお土産を頂戴しましたの」
「ヤツから貰った物なんぞ捨てちまえ」
「ご覧になってからでも遅くはありませんでしょう?ヒカゲさん」
「あぁ、ヒカゲ? 店はどうした・・・ってソレ!!」
にゃーーー!!
 社長と猫のハモった叫びに社員達が驚いて振り向くと、そこには1匹だったはずの日吉が2匹に増えていたのだから更に驚いた。
「なんだそいつは?!」
「猫ですわ」
「そんなこた見りゃ分かるっ」
 しかし、大きさといい模様といい顔立ちといい、ぱっと見は日吉に驚くほど似ている。違いといえば、よく見ると多少日吉よりは目元がきつめかといったくらいで。
「あっ!社長っ、さっき暴れてったのこっちの猫です!」
「何だと?!」
 先程あやふやな証言をした女性社員が、ヒカゲの連れてきた猫を指差して叫んだ。
「どこかおかしいと思ってたら、尻尾が違うんです」
 言われて見ると、日吉は真っすぐだがもう1匹は先が少し曲がっているようだった。
「やっぱり日吉さんじゃありませんでしたわね」
「やっぱりってどういう事だ」
「だいたい信長様は日吉さんが暴れたと聞いて、本当にそう思われましたの?」
 質問に質問で返されて、信長は返事につまった。
 最初に内線がかかってきた時、信長はそんなはずがあるかと一笑に付したのだ。しかし、社員もよく利用しているカフェの看板猫である日吉を他の猫と間違えるのは難しい。ましてや路地でならまだしも自社ビル内。それにいつもなら自分が戻ると先に部屋で待っている事すらある日吉が未だ姿を見せない。
 ・・・これはおかしくはないかと思ってしまったのだ信長は。
 そして日吉の顔を見た瞬間に、社員の報告と悶々とした疑いが信長の中で『確定』してしまった。
「ご自分の飼い猫をもっと信じてあげればよろしいのに」
 行動も思考回路もお見通しと言った口調で、帰蝶は可哀相にと日吉を撫でる。
「他に一番怪しいのはこいつだったんだから仕方ないだろう。そうだ、そいつが土産ってのはどういう事だ!」
「後ろめたいからって大声出さないで下さいな」

ニャー

 初めて聞く鳴き声に、部屋にいた人間の視線が集中した。
 今まで帰蝶の手で下ろされた位置でじっとしていた日吉似の猫は一声鳴くと、自身に集まる視線を気にするでもなくじっと信長を見ている。そして数十秒の沈黙の後、聞こえてきたゴロゴロという音とともにゆっくり近づいてきた。
 そのまま信長の足に擦り寄るかとみなが思ったその時。のどの鳴る音と足の動きが止まった。
「どうした日吉」
 室内の人間は見知らぬ猫だけを見ていたので気付かなかったが、いつの間にか信長の足元に移動した日吉の尻尾がもう一匹の猫と信長の間の床を叩いていた。

***************************************

にゃー(なんでココに来たんだ)
ニャー さあ? なんでだろうな?
にゃーっ こっち寄んなよっ
ニャ (どうしよっかな?


「…お前ら知り合いみたいだな」
 信長の言葉は皆が感じている事みたいだった。仕事に戻った人間も俺(とアイツ)を見てるのが分かるけど、そんなのかまってらんない。足を出したいけど我慢する。暴れちゃいけない場所だって俺は知ってるんだ。アイツとは違う。それに、…足を出しても追っ払うのが難しいってのも分かる。

向かい合って動かない俺(とアイツ)。
「…長引くのか?」
にゃ (黙っててください)
「相手にしてもらえないようですわね」
「うるさい」
にゃっ (黙っててっ!)
ヒカゲがクスリと笑った。
「叱られてしまいましたね」
「うるさいっ」
 殿の大きな声が聞こえたと思ったら、グイッと引っ張られて体が浮いた。
にゃーっ (放してっ、殿っ)
「お前らの睨めっこに付き合ってられる程こっちは暇じゃねーんだ。場所移すぞ、帰蝶、ヒカゲ。土産うんぬんっての詳しく話せ」
「はい、あなたはこっちよ」
 ヒカゲがアイツに手を伸ばした。
ニャー
「いい子ね」
 人間に抱き上げられてアイツが大人しくしてるなんて信じられない。抱えられた腕の中からチラリと目が向けられた。
ニャ〜〜 (俺は来たんじゃなくて連れてこられたんだ)
にゃー! (どういう事だよ!)

「おい、爪立てたら承知しねぇぞ」
 俺が持ち上げられて乗せられた場所は定位置である殿の肩。殿の言葉に出しかけた爪を引っ込める。
「コイツらが邪魔して悪かったな」
にゃー (だーかーらー僕は邪魔なんかしてないってー)
 自分で歩けると伝えたくてパタンパタンと尻尾で殿の腕を叩いても、背を支えてくれてる手に力が入っただけで、まだ逃げると思われてるのが何となく分かった。…もーどうでもいいや。力が抜けて殿の肩にもたれて伸びた。
 そんな俺の背を撫でたヒカゲの手から「やってないって分かってる」って伝わってくる。嬉しいけど気分は少しも浮上しなかった。だって殿に信じてもらえないなら、誰が信じてくれようと意味がないんだから。

***************************************

「どうやらお客様は日吉さんとこの子をすり替える為に来られたみたいでしたの」
「すり替える?なんでだ?」
「それはもちろん『三毛猫の雄』目当てで」
 帰蝶が信長を見て笑う。正確には『信長の肩に垂れ下がる日吉』を見て、だ。日吉は大人しくしているものの、頭は後ろを向いたままだ。
「そいつもそうだろ」
 ヒカゲの膝で丸まった猫の耳がピクッと揺れる。
「『三毛猫の雄』ってだけなら、わざわざコイツとすり替えなくても済むこったろ」
「この子が本当に『三毛猫の雄』なら、そうですわね」
「……小賢しい事しやがる」
 笑みを含んだ帰蝶の台詞の意味が分かった信長が吐き捨てた。日吉似の猫は大人しくヒカゲに撫でられていたが、よく見るとヒカゲの指先が徐々に黒く汚れていくのが信長にも分かった。
「黒色部分以外は自毛ですけど、細かい場所まで似せて塗ってますよ。見慣れてなければ日吉と見間違えても無理ありません」
「その割にはすぐ落ちる安物でごまかそうってトコに詰めの甘さが見えますわね」
「中途半端な真似しやがって。どこまでもいけ好かねぇ野郎だな」
「そうですわね。計画も手口も底が浅くてお粗末なオチで笑うにも苦労するような方でしたけど、もう来られない方ですからどうでもよろしいわね」
 ホホホと笑う帰蝶。信長はどうやって追い返したか聞こうかしたが、再度思い止まった。来ないならそれでいいと自分に言い聞かせる。
「で、置き土産って事はそいつもウチで面倒みるつもりか」
「うちはこの子が別に三毛猫でなくてもかまいませんもの。日吉さんに似て器量良しですし。構いませんわよね?」
「構うだろ!そいつが下のフロアをめちゃめちゃにしたの忘れてんじゃねーか?」
「大声出されなくても聞こえます」
 ぴしゃりと言い切る口調は厳しかったが、横のヒカゲの膝上にやった目は微笑ましいといった暖かな表情を向けていた。
「野良猫ながら気性は荒くもなく、かといって人に懐くでもなく、大人しい子だから簡単に捕まるとなめられたんでしょう。散々抵抗されたようでお供の方ったら傷だらけでしたもの。この子にとっては無理矢理捕まえられたうえ狭い鞄に押し込められて、暴れ疲れて気がついたら知らない場所ですもの。先程のやんちゃっぷりは逃げ回った結果というところでしょうね。人間に当たらない程度にはお利口さんじゃありませんか?」
 帰蝶の言うとおり確かに怪我人はでなかったものの、偶然の線も拭えないと納得のいかない信長だったが。
「私達に見つかってからの警戒を解かないながらも落ち着いた態度でこちらを観察してる。賢い子だわ」
 ヒカゲにのどをくすぐられてゴロゴロと気持ち良さそうな様子からは、確かに大人しくみえなくもない。
「この子なら日吉さんに負けず劣らずの人気者になれるとわたくし思いますの」
「他の猫と相性悪かったらどうすんだ」
「もちろん様子見はしましてよ。駄目なら里親を探しますし」
 そう言いながらも帰蝶には勝算ありとみていた。カフェにいる猫はみな基本的にのんびり屋だったし、賢いこの子なら十分なじめるだろうと見込んでいた。
「でも本当にカフェに迎えるにはやはり許可がいりますものね」
 毛色は違うもののカフェは会社の一事業であり、その責任は信長が負っている。店の運営方針は帰蝶の采配ですすめているが、カフェの猫は信長を飼い主としているのだ。増やすにしろ減らすにしろ打診も許可も信長にするのは当たり前といえた。
 だが信長が返事をする前に、帰蝶が語を継いだ。
「という訳で、いいかしら日吉さん?」
「俺に聞けっ、俺にっ!」
「何度同じ事を言わせるおつもり?」
 大声出すなと帰蝶から冷たい目が向けられたが構っていられない。
「相性うんぬんをおっしゃったのは信長様でしょう?ですから日吉さんに伺ってるんじゃありませんか」
「日吉がOKっつったら即決かよ!」
「そんな事はございませんとも。信長様には書類に承認をいただかないといけませんものね」
 信長に決定権はないとばかりの帰蝶の言葉に信長の肩が落ちそうになる。
「あらあら、それでは日吉さんが落ちてしまいますわ。こちらにいらっしゃる?」
 呼ばれた日吉は膝を示した帰蝶をちらっと見たが、興味無しとまた後ろを向いてしまった。
「嫌われてしまったかしら」
「そいつの側に行きたくねぇだけだろ」
「日吉さんの気持ちをよくお分かりですこと」
「まあな」
 といいつつ、まんざらでもなさそうな信長も、次の帰蝶の台詞につまった。
「先程は日吉さんを信じなかった方のお言葉に説得力はありませんわね」
「あ、あれは」
「やっぱり日吉さんに直接伺いましょう。この子を店に迎えてもよろしいかしら?」
 自分の名前に反応した日吉は信長の肩越しに視線だけよこしてきた。
 帰蝶を見て、ヒカゲの膝上を見つめて、帰蝶を見直した日吉は 
にゃ〜 と一声鳴くとパタンと尻尾を一振りした。
「信長様、日吉さんは何ておっしゃってまして?」
「あー、好きにしろってトコか」
「日吉さん、ありがとう。それでは早速準備に取り掛かる事にしましょう」
 帰蝶が善は急げと腰をあげてヒカゲを促す。
「そうそう、信長様はちゃんと日吉さんに謝って下さいね」
「うるせー」
「後でね、日吉」
 出ていくヒカゲが抱き上げた猫の手を握ってバイバイと揺らしたが、もう日吉は顔をあげようとしなかった。

***************

 暇だなぁ。下りてちゃんと寝たいなー。
「そろそろ下りたいだろ。ってか下りろ」
にゃ (嫌です)
 何度目かの同じやり取り。下りたいよ。でも下りない。
さっさと書類片付けたら?と尻尾で殿の右腕を撫でる。俺が肩から下りる気がないと分かったのか、殿は机右に積まれた書類に手を伸ばした。
 下りないったら下りない。だってひどいよ。俺がやってないって言ったのに信じてくれなかった。悪い事したのアイツだったのに。だから殿が謝ってくれるまで下りないんだから!
 ヒカゲ達が出ていってから俺は殿の両肩にまたがるように据わりなおした。殿は下ろそうとしたけど、俺が踏ん張ったら諦めたように仕事しはじめた。徐々にずり落ちる体を戻したり向きを変えたりするたびに下りろと言われたけど、ごめんって言われるまで下りないって決めてた。なのに。
「お前がさっさとここに来てりゃ、あんな無駄な時間つぶさなくてすんだのによ」
…………殿のバカ!!!

******************

「日吉はどこだ」
「居ますよ、この部屋のどこかに」
 からかいを含むヒカゲの返事にムッとした信長だったが、入ってきた時から仏頂面だったので表情に変化はなかった。あちこちで猫達がくつろぐ部屋を見渡す。
「さっきまでソコに居たんですけど、急に隠れちゃって。信長様が来るの分かっちゃったんですね」
 ヒナタがソコと指差したのは、信長が真っ先に目をやった場所だった。こちらは幾分柔らかめだが、苦笑がにじむのを抑える風もない。
 二人とも日吉の肩を持つ気を隠そうともしていなかった。口に出しはしないが『早く謝れば?』といった空気がちくちく刺さってくる。
「あんなにトゲトゲしい日吉は初めて。どんな言葉をかけたらあれだけ傷つけられるのかしらね」
 ヒカゲはうっすら笑んでいたが信長は見ようとしなかった。目が笑ってない美人の笑顔ほど恐ろしいものはないと知っていたからだ。
「アイツがさっさと来なかったからだっつっただけだ」
「信長様ひどーいっ。日吉だけが悪いみたいな言い方!」
 ヒナタがぷんぷん怒るがやはり信長は見ようとしなかった。こちらは構うほどもないと判断したからだったが。
「本当にそれだけ?」
 ヒカゲの見透かすような聞き方は信長の嫌う類の響きで少し気に障ったがようだが、特に言い返そうともせずに部屋を見渡すのに集中している。
 反応らしい反応をしない信長を見ていた二人は、それぞれ諦めたような仕種で頷きあった。
「日吉は信長様の側にいたくなかったんでしょう。今だって隠れたまま。だからここへ戻ってきたんですよ」
「違うだろ」
「何が?」
「ここへ『戻ってきた』んじゃねぇ。『行った』んだ」
 信長はそう言ってキャット・タワーへ向かうと、隙間があるとは見えないような場所へ腕を突っ込んだ。そして信長がゆっくり腕を戻すと、その手につかまれて日吉がズルズルと引きずり出される。
「…よくお気づきになりましたね」
 日吉はキャット・タワーの足元の箱型の台と壁との間に隠れていたのだが、隙間はきわめて狭く、信長の手が入ったのが不思議な程だった。
「コイツの居場所くらい気配で分かる」
 もっと抵抗するかと思われた日吉は、大人しく信長の目の高さに持ち上げられている。
「お前の居る場所はここじゃない。分かってるな」
………にゃあ
「よし、『戻る』ぞ」
 小さな返事をどう受け取ったのか、信長は日吉を肩に担ぐと悠々と出口に向かう。残された店員二人が見たのは、挨拶もなしに去る信長とその背中越しに申し訳なさそうな顔をした日吉の揺れる尻尾だった。



「結局、信長様ったら日吉に謝ってないじゃない」
「ゴメンが素直に言える人だったら肩の怪我もしなくてすんだてしょう」
 いつもならなら左肩なのに今日は右に日吉を乗せた信長。横を通った時に微かにしていた消毒薬の匂い。
「やっぱり?アレって日吉が爪たてたんだね、きっと。いいクスリよ」
「多少の反省もあるから叱れなかったのね」
 寄ってくる猫達をかまいながらヒナタとヒカゲは笑いあった。
「日吉に似たあの子、早く来ないかな〜」
「帰蝶様がなさる事だもの。すぐに来るわ」
「あっ、でも日吉とケンカしないかな?」
「大丈夫よ」
 先が見えるかのようにヒカゲは言い切った。ヒカゲがこう言う時には本当に『大丈夫』なのだとヒナタはよく知っていたので。
「そっかぁ、なら楽しみにしてよーっと」
ナー
「ダメよ、オヤツはお客様からもらえるでしょう?」
「そういえばヒカゲも猫達がなんて言ってるか分かるよね」
「何となく、ね」
「そんな事ないよ、いつも感心しちゃうもん!」
 『遊ぼう』とか『おなかすいた』くらいならヒナタだって予想もつくが、ヒカゲはそれ以上を聞き取っているように思えてならないほど小まめなケアを欠かさない。
「ねぇねぇ、じゃあさ、最後に日吉がなんて言ったか分かる?」
「最後?」
「信長様は了解ってとったみたいだけど、なんか違う気がして」
 ひっかかるんだーと首を捻るヒナタにヒカゲはくすっと笑った。
「そうね、私にも違って聞こえたわ」
「でしょでしょ!だと思ったんだ〜で、何て言ってたの?」
 ヒナタがキラキラ目で迫るのに笑ってヒカゲが一言呟いた。
「『ずるい人』ですって」
「………確かにっ!」
 一瞬の間をあけて吹き出したヒナタとヒカゲは、あまりにピッタリ表現に腹筋が痛みだすまでしばらく笑い続ける羽目になってしまったのだった。



                                       Fin.

                                   2008. 7. 25




日吉に似たニャンコは「秀吉」と名づけられ、この後カフェの一員になります。
検査で日吉とは父親違いの兄弟と判明。
作中で書ききれず・・・ 2匹の微妙な過去も書ききれず・・・
それにしても。前作のupが2007.6.7。
大変お待たせいたしました(誰も待ってない、か・・・)
文章大変読みにくいかと思いますが、すみません、力尽きました。

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