「花が教えてくれたこと」 
       
      
        
          
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             起き上がろうとした動作で咳込み、まもりは体を丸めた。 
「ほらほら、まだ寝てなさい」 
             止まらないまもりの咳に、やっぱりといった顔で母親がたしなめる。 
             夕方にまもりが『のどが痛いかも』と言い出してから、咳と熱が出るまではあっという間だった。 
             さては遅まきながらのインフルエンザかと身構えたものの、診断結果は「炎症を伴う風邪」。まもりは周りに迷惑をかけずにすんだと安心したが、安心するのはまだ早かったのである。 
「なかなかしつこい風邪ねぇ。まぁ貴女がかかるくらいだから、強烈だったのかもね」 
「どういう意味よ、ママ」 
             ベッドからまもりが睨むが、まだ目にも声にも力が無い。 
             周囲に風邪ひきがいた覚えはまもりにはない。どこから呼び込んだのか分からないが、質の悪い病気にかかってしまったとまもりは己の迂闊さにかなりへこんでいた。 
             それでも、だいぶ回復したのだ。最初は声を出そうとするはしから全て咳に変わってしまうほどだったのだから。 
「退屈だろうけどもう少し寝てなさい。あと少し我慢よ」 
「はぁい」 
             実際、まもりはウズウズしていた。体調を崩し発熱でもうろうとしていた2日をすぎると、あれもこれもと気になりだした。 
             まとまりの良いのは試合中だけ(それも絶対ではなかったが)という最京チームの面々を思うと、何か周囲に迷惑をかけていないかと心配だったが、子供じゃないんだしと自分に言い聞かせて休むこと1週間。治療に専念するのがチームのためと言われても、日々の報告メールが言葉少なになっていくのがまもりの不安を煽っていた。 
             止まらない咳にいらつきながらも、不完全な体調で動くこともためらわれる。母親の言う通り「あと少しの我慢」と、まもりはため息をついた。 
             娘のジレンマを汲み取った母親も、苦笑しながら宥めてくる。 
「そうそう、休むのも仕事のうちよ。飲み物持ってくるけど何が良い?」 
「H2O。水で薄めて」 
             まもりの応えにハイハイと笑って母親が部屋を出ていく。 
             一人になった部屋で目を閉じると、まもりの耳に小さな音が聞こえてきた。 
             小鳥の鳴き声。道を走る車やバイクの音。階下からは母親のスリッパと食器の触れ合う音。 
             それらの音に耳をすますうちに、まもりはウトウトしたまどろみの中で夢を見た。 
 
 
             寝込むまもりの枕元で、ごめんなさいと幼いセナが泣いている。大丈夫だと言っても泣き止まないセナに、まもりまで泣けてきて更にセナが泣きじゃくる。 
             自己管理のしっかりしたまもりが病気になる時。それはたいていセナから移された事をさしている。まもりの記憶の中で、病気とセナの泣き顔はワンセットだ。 
             移るから来てはダメだと言っても、セナは必ず見舞いに来た。蒲公英に白詰草、捩花に犬蓼。道端に咲く花を、小さな手に握りしめて。 
             まもりから離れたがらない息子を迎えに来た母親に連れられセナが帰るとホッとした。けれど、セナがいなくなっただけ部屋は静かで寂しい気がした。 
             けれど、「早く良くなって、今度は一緒に摘みに行こうね」とセナが置いていった花が、まもりの寂しさを紛らわせてくれた。泣き虫だけど優しい、そんなセナがまもりは大好きだった。 
 
 
             懐かしい夢から目覚めると、眠る前まではなかったものに気付いた。 
             そっと起き上がり手を伸ばす。 
             小振りのグラスに挿された花が数本と、こじんまりとしていても目を引かれる紫陽花のアレンジメント。 
             心当たりのあるものとないものにまもりが戸惑っていると、静かにドアが開けて母親が入ってきた。 
「あら起きたの?」 
「ママ、これは?」 
「さっきセナ君が持ってきてくれたのよ」 
「こっちは?」 
「両方セナ君よ」 
「両方?」 
             グラスに挿された庭石菖はともかく、夢から覚めたばかりのまもりの中で紫陽花のアレンジメントとセナが結び付かない。 
「セナ君が紫陽花なんて変わったセレクトするなんてママもびっくりしちゃったわ。でもセナ君も大学生だもの」 
             大人になったのねーと母親が笑って言うが、やはり違和感が拭えない。 
             しきりに首を傾げる娘を眺めたのち、実はねと勿体振りながら母親が種明かししてくれた。 
 
 
「まもり姉ちゃんの具合はどうですか?」 
「まだ咳が少し残っててね」 
「あ、あの上がってもいいですか?」 
「あら駄目よ。セナ君に移すなんて」 
「それなら大丈夫」 
「大丈夫じゃないでしょ」 
「だって熱が出て咳が止まらないって聞きましたから。…だからやっぱり僕、まもり姉ちゃんに謝らないといけないんです」 
「どうして?セナ君が謝ることなんて何もないのよ」 
             確かに少し前に「セナが風邪をひいた」と隣家の奥さんから聞いていたが、半月程前の話である。その頃まもりも部活とテスト勉強に忙しく、また、行っても気をつかわせるからと見舞いもメールで済ませていたはずだ。 
「実は…」 
 
 
「ヒル魔君?」 
「セナ君が治りかけた頃にヒル魔君に移ったんですって。それが貴女に移ったと思うから、やっぱり僕のせいですって言うの」 
「…ヒル魔君、風邪ひいた様子なんて全然…」 
             咳もしてなかったし、とても熱があるようには…、いや、そう言われればいつもより口数少なくはなかったか?手を抜いてるのかと詰め寄ったまもりの注意にも反応が鈍くなかったか? 
「セナ君が休めって言っても大丈夫だって。学校で誰かに移さないか心配してたんですって。そしたら貴女に移ったらしいって聞いて、慌てて来てくれたみたいよ」 
             悪いのはヒル魔君なのにね。苦笑する母親のセリフはちゃんと聞こえていたが、まもりは呆然としてあいづちも打てない。 
             換気のために窓を開けた母親が、咳込まない娘の様子に安心した表情をする。 
「今日も本当はヒル魔君と来るつもりだったのに『移した奴の顔は見たくねーだろ』なんて言われたら、セナ君もう引っ張って来れなかったって」 
             まもりだって見たいとは思わない。ただし、理由は別にある。 
「でもアレンジメントがヒル魔君からだって聞いて、ママ納得しちゃったわ。ちょっと変わってるけど、オシャレよね」 
             確かにあまり見かけない種類の紫陽花をメインにしたアレンジメントは、華やかさには欠けるが、雰囲気の良い物だとまもりも認める。しかし、しかしだ。 
「セナ君からはこっち。懐かしいわね、貴方達がよく摘んできたのを思い出したわ」 
             紫と白の庭石菖。変わらないセナの優しさがまもりは嬉しくてほっこりとした気分になる。だが、さっきから胸にふつふつと沸き上がる熱さは別モノだ。 
「さぁ、素敵なお見舞い頂いたんだから、早く元気にならないとね。もう少し休んでなさい」 
「…ありがとう、ママ」 
             まもりの声に張りが戻りつつあることを感じ取り、「夕飯になったら呼ぶから」と母親は笑顔で部屋のドアを閉めた。 
 
 
             夢から目覚めてから、まもりは体が楽になっているのを感じていた。多分この調子なら明日には起き上がれるだろう。 
「そうね、素敵なお見舞いもらったんだもの。…早く元気になってやるわよ」 
             セリフがこぼれると同時に、まもりの額に青筋が浮かぶ。 
             ヒル魔が全部悪いとは言わない。風邪をひいたのなら休むのが当然だったが、過ぎてしまったことを言っても今更だ。 
             それにまもり以外に体調を崩した部員はいないはず。確かにヒル魔は周りと距離をとっていたように思う(今にして思えば、だが)。「移した・移された」だったら(比率は大幅に違っても)双方に非があるからと、まもりは流しただろう。 
             そう、風邪の出所がセナでなかったら。 
             まもりはセナが風邪をひいたと聞いた時、最初は見舞いに行こうとしたのだ。庇い守る対象ではなくなったとはいえ、セナはまもりにとって「可愛い弟」に変わりない。 
             見舞いを止めたのは、セナが来るなと言ったからだ。もしまもりに移ってしまったら、自分と同じ苦しさを与えてしまう。そんなことはしたくないからと。 
             実際はメールのやり取りだったが、セナにそう言われて、まもりに行けるはずがない。「しっかり休んでね」とメールするのが精一杯だった。 
             まもりだけでなく、セナはスポーツマンである友人達を気遣い、見舞いを断っていた。それほどセナは周りに人を寄せ付けなかったのに、セナの努力も虚しくまもりは移ってしまった。 
            「…よくもセナの気遣いを踏みにじってくれたわね」 
             道端にしゃがみ、背を丸めて花を摘むセナの姿が思い浮かぶ。きっと小さい頃のように涙目だったに違いない。その場にまもりがいたら「セナは悪くないのよ!」と慰めてあげたのに!! 
「セナを泣かせる人に、もう遠慮なんかするもんですかっ」 
             どうやらまもりの中では、「ヒル魔がセナを泣かせた」が確定したらしい。セナが選んだ人だからと渋々口だししないことを約束して以来、重ねに重ねた我慢がはけ口を得て吹き上がる。 
「待っててセナ、私が悪魔から救ってあげるからっっ」 
             衝撃の事実の前に、しつこかった咳も吹っ飛んだらしい。久しぶりに感じる気分の軽さに、まもりは決意の笑みを浮かべた。 
 
             
             
             
             
                                              Fin. 
             
                                           2010. 6.10 
             
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            突っ込みどころがいっぱいいっぱいあると思います。 
            もうちょっと終わりを何とかしたかったな・・・ 
            多分、時間かけてもグダグダが増すだけなのでup。 
             
             
             
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