『梅雨のある日の・・・』 
       
      
        
          
             
             
              昼休みも半分と過ぎた頃。 
 3年の教室階を小走りに急ぐ小柄な生徒がいた。 
 人の間を器用にすり抜け、ある教室前で足を止める。 
 どこかおずおずと、だが惑う事なくドアから覗き込むと目的の人物と目が合ったようで。 
「ヒル魔さん」 
 と相手を呼んだ。 
 
 
 今でこそチラ見される程度だが、新学期早々にこの少年が現れた時には、それはそれは大騒ぎになった。 
『あのヒル魔を怯えもせずに訪ねてくる人物がいるなんて!!』と。 
 ただ大騒ぎといっても、実際のところは誰も叫んだりはしていない。 
 というかそんなの怖くてできない。 
 ざわざわと空気は騒いだ程度だ。 
 それだってヒル魔の気に障れば何をされるが分からない。 
 教室内に緊張が走ったが、訪ねてきた少年はそれに気付けないのか知らないふりか。 
「あ、ヒル魔さん、寝癖ついてますよ」 
 背伸びをするとあの特徴のある髪を一房つまんでみせた。 
『なんてことすんのコノ子は!!』 
 声にならない叫びが教室内を震わせた。 
 が、 
「ちっ、めんどくせーんだよ…」 
 と舌打ちしたものの、嫌がりもせず好きに触らせるヒル魔に、『一体あれぱ誰?!』と教室中の視線が一点集中する。 
 そしてようやく数人が気付いた。 
 ヒル魔にすっぽり隠れるサイズながら臆せず話し掛ける2年生が誰かを。 
「……アイシールド21?」 
 
 
 それ以来、上級生の教室という遠慮は見せるものの、度々セナはヒル魔を訪ねてきた。 
 漏れ聞こえる内容はたいていはアメフト関連のこと。 
 引退した先輩に教えを請うのはおかしくもなんともない。 
 またヒル魔も(思いの外)ちゃんと対応するのだ。 
 いつもマシンガンを手に近寄りがたい空気をまとわせていたヒル魔が(怖い部類だとしても)普通の先輩に見える。 
 しかもたまに笑い声なんかも聞こえてきたりして、遠巻きながらも関心はつのるばかりで。 
 梅雨を迎える頃には、セナとヒル魔のツーショットはすっかり見慣れた光景になっていた。 
 
 
 先輩と後輩が教室の入口横の廊下で立ち話。 
 普通によくある光景なのに気になってしかたない。 
 その理由とは…。 
「すみません、教えて欲しいことがあるんですけど」 
「んなのは糞トレーナーと相談しろ」 
「いえ、アメフトじゃなくて数学で…」 
 次の授業で当たるんですと言うそばから頭に教科書を乗せるセナ。 
 だが頭を通り過ぎたヒル魔の手は頬をムギューと潰した。 
「こんなもん授業聞いてりゃ分かるだろ」 
「分かりぇば来へまへんにょ〜」 
 そりゃそうだと聞き耳をたてている集団はみな思った。 
「で、どこだ」 
「ここです」 
「……」 
 頬から移った指がセナの耳をつまみあげる。 
「テメーの耳は飾りかコラッ」 
「いっ、痛っ痛いですっ」 
「耳より頭か。先週教えたトコじゃねーかっ」 
「えっ、だって」 
「応用だっ。…食い物に気ぃとられすぎなんだよテメーは」 
「あれは、イイ匂いがしたらしょうがないですよ〜」 
「腹減るとダメ、満腹になったら寝る。テメーはいつなら頭に入るっつーんだ」 
「…いつでしょう?ぅう〜〜〜痛い〜〜〜引っ張らないで下さいってば〜」 
 聞き耳をたててはいるが、別に大変でもなんでもない。 
 大きくはないがひそめられてもいない会話は少し耳をすませば丸聞こえである。 
「次に鍋焦がしたら弁償」 
「えっ!あんな高そうなの僕じゃ買えませんよ」 
 なんでもない会話に聞こえるが、聞いているとアレ?となるのだ。 
 …ねぇ、キミタチ、それってドコでの話しなの? 
 2人の会話の隙間に現れるちょっとしたニュアンスがイケナイ好奇心をかきたてる。 
 特に態度がどうこう、なんてのは、ない。 
 後輩が先輩の家に行くのもおかしくは、ない。 
 ただ「もしかして?」がちらついてしかたないのだ。 
 そして今日も居合わせた面々は耳をダンボにするのだった。 
 
 
 ポイントを教わり頷いたセナがペコリと頭を下げる。 
「ありがとうございました」 
「おら、チャイム鳴るぞ」 
 ヒル魔とは違うがどこか似たセナの髪をくしゃりと撫でて急かした。 
 その時、セナが何かに気付いたように首をかしげた。 
「ん?なんだ?」 
 じっと見上げられたヒル魔が問うのに答えず、セナは上げた目線を真正面に移す。 
 次の瞬間、セナはギュッとヒル魔の懐に抱き着いた。 
『え、えぇーーーっ!』 
 新学期の衝撃再び。 
 これにはヒル魔も驚いたようで、腕が所在なさ気にうろうろしている。 
 だが嫌がるでなく怒りも引きはがそうとするそぶりのなさに、「やっぱり?!」と周りの視線が集中した。 
 そんな周囲のざわめきは意識の外らしいセナはヒル魔のシャツに鼻先を埋める。 
 離れようとしないセナの肩にヒル魔の手が触れようとしたその時。 
「ヒル魔さん、洗剤変えました?」 
 ………はい? 
「あー、こないだ安売りしてたのにな」 
「イイ匂い〜」 
 グリグリと頭を擦り付けてうっとりとセナが深呼吸を繰り返す。 
「部屋干し臭くない〜」 
 うん、その気持ちは分からなくもないけれど、確かめ方はもっと他にもあるんでは? 
 抱き着きという行為をどうとらえてよいものか? 
 2人に問い掛けたいがそんな勇気はどこにもない。 
「分かった分かった。帰ったら確かめとくから離せ」 
「はーい」 
 やっと顔を上げたセナはふんわりと笑った。 
「梅雨ってホントに嫌ですよね」 
 嫌って顔には見えませんが… 
 
 
 予鈴にダッシュで走り去ったセナを見送り悠々と席に戻ったヒル魔は周囲のことなど気にするそぶりもない。 
 が、もちろん気付いてない訳はない。 
 ただ隠す気もなければ親切に教える気もないだけであった。 
 そんなはた迷惑なヒル魔の放置にあい、クラスメートの困惑は深まるばかり。 
 まだしばらくは2人の関係にもどかしさを募らせる日が続きそうだった。 
 
             
             
                                            2011. 6. 7 
             
                                               Fin. 
             
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       1年進級してます。 
      書いてみたら、ちょっと変わった視点からのお話に。 
      ヒルセナは日常がネタになるので 
      ありがたいです(笑) 
       
       
       
        
       
       
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