『 夏よりも 』


 

ガラスの向こうに広がるのは青い空と白い雲。天頂から照りつける日差しが木々や建物の下に濃い影を作り、窓をぴったりと閉めていてもセミの声が聞こえてくる。
空調のきいた室内にいても夏の自己主張は激しい。

夏休みが始まり一週間がたったが、飲食店やプールなどに配置した風紀委員からは毎日報告が上がってくる。応接室でそれらの報告を一通り目を通し、雲雀は人員配置の組み換えを並盛の地図を前に検討していた。
休みにはしゃぐのは勝手だが、冬や春に比べ夏は生徒の羽目が一段と外れるから毎日風紀も大忙しだ。
もう一度、今度は報告書に目を通す。発生した時間、場所、原因。とりわけ注視したのが生徒の名前。記憶にあるリストと照らし合わせていると、ソファーから「まだ?」と声がかかった。
「帰りたいならそうすれば」
そちらを見もせずに返した雲雀に、ソファーに寝転んでいた人物は「帰らないって」と言って倒していた上体を起こした。
このかなりラフな服装なのにやたらと目にやかましい髪や顔立ちと雰囲気で存在を主張する自称「雲雀恭弥の家庭教師」は、ソファーから雲雀の手元を指して言った。
「でもさ、それ、早く片付けないと俺と手合わせする時間減ってくぜ」
「簡単に言ってくれるね」
そんなことくらい雲雀にも分かっている。だから手合わせに集中するためにも終わらせようとしているんじゃないか。
連絡もなく「時間取れたから恭弥に会いたくて来ちゃった!」とぬけぬけとほざくディーノに「待て」を言い渡し、仕事を優先させたのは雲雀である。しかし、ペッタペッタとスリッパを鳴らしながら来たディーノがソファーに座ってから数分とたっていない。
うっかりすると忘れそうだが、この自称・家庭教師はイタリアに住んでいて常に並盛にいるわけではない。風紀の仕事を下に見るわけではないが、限られた時間はそれなりに雲雀にとっても貴重なのだ。一分一秒だって惜しい。
「そうだね。先にあなたを咬み殺してからこっちを片づけてもいいんだよ?」
ディーノが咬み殺す→仕事終わらせる→食事。我ながら名案だと思ったのたが。
「え〜。それだといつになったらメシ食えるんだよ」
要するに「俺、簡単には咬み殺されないし」ということか。不満たらたらな口調がさらに雲雀の腹立たしさをあおる。
「それに恭弥だって腹ヘリでフラフラの俺を咬み殺して嬉しいか?」
だったら自分だけ先に食べればいいと叫びそうになったのを雲雀はなんとか飲み込んだ。
ディーノの本日の第一声は「恭弥、メシ食べに行こうぜ!」だった。これはもちろん「一緒に」が大前提だと、残念なことに雲雀は学習している。
以前、食事なんて栄養が取れればそれでいいとゼリー飲料を昼食にしていた雲雀を見てからディーノはやたらと雲雀に一緒に食事をしたがるのだ。
「それに恭弥だって食べてないから勝てなかったなんて言いたくないだろ?」
言ったディーノも本気ではない。だが、これに付き合わない限り手合わせも望めないと判断するくらいには、雲雀はディーノとの食事も手合わせも回数を重ねている。
チラリと見やると、さあどうする?と言わんばかりのディーノが雲雀を見ていた。
目をつむり深く息を吸ってゆっくりと吐く。そして再度あちこちに印がついた手元の地図に視線を戻した。
『もろもろの条件を考えて適正な人員を要所に配置するって大変だけどさぁ』
ふいに、いつだったか聞いた声が雲雀の脳裏で再生される。あれは窓が外気との気温差で白く曇りがちな季節だったか。
やはり食事に誘いにきたディーノが今と同じようにソファーに座り、今と同じような状況にいた雲雀に言ったのだ。
もぐら叩きのように叩いても叩いても無くならないもめ事やばか騒ぎにイライラしていた雲雀に、後手に回るばかりじゃ面白くないだろ?と。先を読めと、それはもうムカつく笑顔で笑いかけてきた。
『恭弥なら出来るだろ?』
続けられた言葉は質問ではなく確認だった。
あおられて乗せられた自覚はあった。だが馬鹿にするなと言った手前、下手な手は打てないに決まっている。
改めて、時間・場所・内容・人から傾向を分析するとともに、まだ発生していない事態への予測と対処する準備も行うことができ、結果も上々であった。
後日、ディーノに「どうだった?」と聞かれた時。「誰に言ってるの」と返した雲雀に「さすが恭弥だ」とディーノの晴れやかな顔をよく覚えている。
家庭教師を気取るディーノは雲雀の活動に何かにつけて小煩い。あの時もいいように誘導された感は否めないけれどディーノに指摘され見直した後の見回りでは効率よく対処できたことは事実なのだから、それを活かさないほど愚かなことはない。
ディーノを師と受け入れたつもりは雲雀にはないが、こういう時には感じてしまうのだ。確かにディーノは雲雀に影響を与えていると。
その時、雲雀のポケットの中で携帯が震えた。委員達の取りまとめを行っている草壁からの定時報告で、【各所異常無し】とあった。
それに対し一言のメールを送り、雲雀は椅子から立ち上がった。
「お仕事終わり?」
「今のところは」
座ったままのディーノの後ろを通りすぎると、ディーノが後からついてきた。
「で、指示は?」
「現行維持」
「ま、妥当なんじゃねーの」
うるさい質問を止めるためにいくつか答えた中から大体を把握していたらしい。
妥当だなんて偉そうにと思わないでもないが、つまりディーノの同じように考えたということだろう。
廊下に出たとたんに耳に突き刺さるセミの声と息苦しく感じるほどの蒸し暑い空気に足が止まりかける。
「恭弥?」
「なんでもない」
そう言って歩き出すと、ディーノもペタペタとスリッパを鳴らしついてきた。
夏休みが始まってまだ一週間。毎日何かしら連絡はあるが、どれも普段の取り締まりにある騒ぎの延長線上に過ぎない。風紀委員を見て逃げていくような者もいたというし、今の段階なら現行の取り締まりで十分対処できる。
それよりおそらく起きるであろうもっと質の悪い騒ぎに備え、委員達は温存しておきたい。取り締まり強化は委員の負担増に直結するものだし、風紀に軟弱な者はいないが、近年の夏の暑さはただそれだけでも体力を奪っていくのだから。
「なぁ、恭弥は何食べたい?」
「決めてから来なよ」
「リクエストがあるなら応えたいじゃん」
「かき氷」
「それはご飯じゃありません」
「冷たいもの」
「冷製パスタは?」
「またパスタ?もっとあっさりしたのが食べたい」
「またってほど食べてないだろー。でもそうだなー」
雲雀にパスタを却下されたディーノは、あっさりあっさりね、と珍しく思案している。いつもならすぐに「じゃああそこ」と候補を出してくるのに。
職員用玄関で靴にはきかえ、日陰を選びながら裏門に向かう。
「リクエストに応えてくれるんだよね?」
「もちょっと具体的になんねーかな?」
「冷たくてあっさりしててイタリアン以外のご飯」
「ひとつも追加情報ねーじゃん!」
「うるさい」
どうやら本当に雲雀のリクエストにかなう料理を思いつかないようで、顔にはでかでかと「困ってます」と書かれている。
そんなやりとりをしている間にたいして距離のない裏門に着いてしまった。
門の外には見覚えのある車が停まっていた。校舎から出てきた二人に気づいた黒服が開けた後部ドアに滑り込んでもまだディーノはうなっている。
ディーノの指示がなければ車は動き出せない。運転手も控え目にだがディーノの様子を窺っている。
昼を少し回ったこの時間。いいかげん雲雀の腹も空腹を主張しはじめた。
「どーしても思いつかないなら、仕方ないから、パスタで我慢してあげてもいいよ」
「いやっ待ってくれ!恭弥が俺に言うからには絶対なんかあるし俺も知ってるはずだ!思い出す、思い出すから!」
片手を雲雀に向けたディーノは、目をつむり残る手で額を押さえたポーズで待ってくれと訴える。
「……好きにしたら」
空腹の雲雀はもうパスタでかまわないのだが。あくまでディーノは「冷たくてあっさりしてるイタリアン以外」にこだわりたいらしい。
「ここでどれくらいこの人を待ったの」
助手席の黒服に聞くと「今で35分ってとこだな」と返された。
応接室からここまでゆっくり歩いて10分を切るくらいだった。そしてドアが開けられる前に聞こえてきた音からして滑って転んでディーノが無駄に費やした時間を約7分と見て、ここと応接室との往復がざっと25分。ディーノがソファーに座るまでと車に乗り込んでからを引けば、ディーノを待たせたのは5分ちょっとくらいか。
「5分たったら僕帰るからね」
「5分、5分な!分かった!」
うーん、あー、と頭を抱え、ディーノは脳内検索に必死である。
さて、5分たったら雲雀はどんな店に連れていかれるのだろう?今までの食事に外れはないので、きっとディーノの選択は雲雀を満足させてくれるはずだ。
もしディーノが降参してきたら?その時は雲雀が教えてやろう。並盛にはまだディーノの知らない美味しい店があるのだと。
どちらにしても5分後には美味しい食事が、そしてその後は雲雀を夏よりも熱くさせてくれる手合わせが待っている。
携帯のアラームを5分後に設定し、雲雀はゆったりとしたシートに背を預けてしばし目を閉じた。





                                                Fin.

                                           2015.07.29



最初に思いついたネタと
なにも被らない話になりました。
どうみても ディーノ +  雲雀 ですが、
本人、ディノヒバのつもりで書いたので
ディノヒバでよろしくお願いします。