クリスマスボウルが終わると、セナのもとには待ってましたとばかりに各運動部から助っ人の依頼が殺到した。 
 陸上部を筆頭に、セナの足に期待を寄せて後から後から舞い込む依頼の数々。 
 そんなセナが最初にした事が『スケジュール帳を作る』だった。 
 
       
 確かにセナの走りは素晴らしかった。だが残念な事にそれ以外が全く素晴らしくなかったのだ。 
 休む間もなく次々と大会などに出たセナだったが、『小早川セナはアメフトに向いている』という結論を浮き彫りにした。 
 足には自信があったセナも散々な結果に情けないやら申し訳ないやらで、試合や大会が終わる毎にコメツキバッタと化していた。 
『コイツ、使えねー』 
 運動部は早々にセナに見切りをつけ、ビッシリ埋まっていたスケジュール帳も、始めの数ページ以降どこを開いても目に眩しい真っ白が続いている。 
 最初は慰めたり励ましていたアメフト部員も次第にかける言葉をなくし、『今はそっとしておこう』とセナの知らぬところで暗黙の了解となっている。 
 今日もその方針に従い、セナを寄り道に誘う事なくみな下校していき、部室はヒル魔とセナの二人きりであった。 
「アメフト一本でやれっつーこったな」 
「そーですね……」 
「いい加減起きろ、ウザったい」 
「だって…」 
 言われて上体を伏せていたカジノ台から起き上がったものの、顔は俯き、手にした物から目を離さない。 
 ヒル魔の物よりやや小さく薄いそれは、スケジュール管理のためにセナが買った手帳だった。 
「せっかく手帳作ったのに」 
「なんだ、使えねー自分に落ち込んでたんじゃねーのかよ」 
「ううっ、そんなハッキリと言わなくても……」 
「テメーのダメっぷりなんざ分かりきってるだろ」 
「ははは、はぁ〜…」 
 再びカジノ台に突っ伏するセナをチラリと見やったヒル魔だったが、そんなセナを笑いもけなしもしなかった。 
「だいたいテメーに出来る事を見抜けなかった奴らが間抜けなんだよ」 
「………」 
 微妙な表現にどう答えればいいのかセナは口ごもってしまう。 
 そのままだと勧誘をかけてきた面々への皮肉だが、見方を変えると『アイシールド21』として走らせたヒル魔自身か、走ってきたセナか、どちらを褒めているととれなくもない。 
 セナは少々悩んだが、『走り続けたセナへの励まし』だと都合の良い方へ受けておくことにした。願望というより、そう思わないと後が怖いからに近かったが。 
 ヒル魔が凄いのは分かりきっている。だからセナはそれで全然構わないが、そう受け取ってしまい、間違った場合が怖い。つまり自分を卑下すると同時にヒル魔の『テメーはやれば出来る子』(と言うことだと思う、多分・・・)を否定することになる。最悪である。 
 なぜなら、常日頃からセナが卑屈な態度を取るのをヒル魔は嫌う。『だって』『でも』『僕なんか』など口にした瞬間、デコピンが炸裂する。セナだって後ろ向きが好きな訳ではないし、痛いのもむろん避けたい。なので、自惚れと鼻で笑わるくらいで済むならそっちの方がずっと良い。(実はその考え方自体が後ろ向きなのだが)。 
       
 
「百面相は終わりか」 
「へ?」 
「考え事は終わったかって聞いてんだよ」 
「あー、そんなに変わってました?」 
「百には届かねーがな」 
ぺたぺたと顔を触るセナにヒル魔が笑う。ヒル魔がからかおうと思うくらいには変わっていたらしい。 
「テメーのダメっぷりは今更だとして、手帳がどーした?」 
サラっと流された部分は掘り返すとまた沈んでしまうので、セナは『突っ込まないぞ』と自分に言い聞かせる。 
セナが手にした手帳を目の高さに持ち上げた。 
「せっかく作ったのに真っ白なのが寂しいなと思って…」 
「まだダメっぷりを晒したいと」 
「違いますっ」 
 手帳でカジノ台をペシペシ叩いて抗議する。 
 確かに申し訳なく感じる気持ちも残っていたが、さっきのヒル魔の言葉でだいぶおさまりもついた。 
「数ページしか使ってないって、もったいなくないですか?」 
 再び持ち上げた手帳をヒル魔に向かってかざす。 
 セナが詰め寄っただけ下がったヒル魔の眉が片方だけ持ち上がる。 
 そしてヒル魔の目の前に突き付けられら黒い物体はつままれ、引き抜かれ、ペッとテーブルに投げ出された。 
「あぁ、僕の手帳っ」 
 台の隅まで飛んだ手帳を慌てて追い掛け、どこも傷んでない事を確認する。 
「も〜、投げるなんてひどい〜」 
「もう使いもしねーモンだろうが」 
「これから使うかもしれないじゃないですかっ」 
 取り戻した手帳を抱きしめセナが訴えた時、さっきまでとは違う笑みがヒル魔に浮かんだ。 
「なら使え。助っ人の予定しか書いちゃいけねーなんて誰も言ってねーからな」 
「……でも、表紙に助っ人って書いちゃったし」 
「ホントにテメーはバカだな」 
 ヒル魔の手に現れた黒いサインペンにより、セナの胸元から抜かれた手帳の『助っ人』と書かれた部分が塗り潰されていく。 
「あっ」 
「ついでだ」 
 数枚をビッと一息に破り取られ戻ってきたセナの手帳には、真っ白なページだけが残っている。無造作に破られたように見えたのに、よく見ないと分からない程の跡だけがわずかにあるだけだった。 
「これでテメーの手帳になったろ」 
「……最初から僕の手帳でしたよ?」 
「『アイシールド21の助っ人手帳』だろ。それはテメーの手帳とは言えねーな」 
「ヒル魔さん…」 
 つまり、助っ人の予定ではなくセナ自身の予定で埋めていけば良いとヒル魔は言いたいのだと、やっとセナは理解した。 
 真っさらの(ような)手帳には、『小早川瀬那』のこれからを書いていけば良い。そう言われているのだど気付いて、まだどこかに残っていたひっかかりがスゥっと消えていくのをセナは感じていた。 
 
       
「そうだ、デビルバッツの練習予定書けば良いんですよね」 
 初めて手にしたときよりも大きなワクワク感。それはセナが書くだろう予定=未来を楽しみにしていると、セナは気付いたかどうか。 
「テストの予定や結果も書いときゃ、おバカなテメーも忘れねーよな〜」 
「うぅっ、頑張ります……」 
 テストで同じような間違いを繰り返すセナは、耳に痛い忠告に顔を引き締める。 
だが、そっと横目で窺い見たヒル魔の意地の悪い笑顔に、セナの引き締めたはずの顔が緩む。 
「なんだ?」 
 しかめられたヒル魔の眉が『気味悪い』と語っていたが、セナは笑顔を崩さない。 
「嬉しくって」 
 つい笑っちゃうんです、とセナ。 
「だってこの手帳、ヒル魔さんの真似なんですよ?」 
 ヒル魔の手帳が単なるスケジュール帳でないことはセナだって(それはもう重々)承知している。だから中身を真似したい気持ちは全然、全く、これっぽっちも無い。 
 ただヒル魔が手帳を使いこなす様子がセナの目に大人っぽく写り、セナもヒル魔の手にある『手帳』というアイテムに憧れたのだ。 
「ほら、ちょっと似てません?」 
 顔の横で軽く振り、「ね?」と聞いてくるセナは『はにかみ天使』と名付けたいほどに可愛い。 
「……黒いってのは同じだな」 
「えー色だけー? 皮の感じとか紙の色とかー」 
 あっさりした返事にセナが食い下がる。 
「どれもたいして違わねーだろ」 
「でも似てるのが欲しかったんです。へへー、何から書こうかな〜」 
 要するに不完全燃焼だった『ヒル魔さんとお揃い気分』が、ヒル魔の機転により叶えられたのだから、セナの嬉しさもひとしおであった。 
 
 
「……恥ずかしいヤツ」 
「そ、そうですか…」 
 呆れを含んだ声につい俯いてしまった。 
 セナも女の子みたいだと思わなくはなかったけれど、言わなければ分からないだろうと勢いで作った部分もあった。 
 実はセナの意図を周囲の面々は簡単に見抜いていた。ただ必要に迫られていたのも事実だし、誰も口にはしなかった事をセナは知らない。 
 恐る恐る顔をあげたセナが、予想と違うヒル魔の様子に瞬く。 
「百面相の続きか?」 
 呆れた声はそのままだが、苦笑気味のヒル魔にセナは正直驚く。 
「やめろって言われるかと思いました」 
「使えって言っちまったしな。テメーならたかがスケジュール帳も国語のドリルになりそうだ。あんまり使ってねーんだから動かせよ、アタマ」 
 こめかみを突かれてもセナは言い返せない。予定だけならともかく、出来事も書くとなると文章を考えなくてはならない。日誌を書くのも苦手なのに自分にできるのか、急に不安になってくる。 
 先程までの興奮を消し、心もとなげに目線を下げるセナに、 
「ばーか、考えすぎ。誰に見せるモンでもねーんだ。自分が分かりゃいーんだから難しく考えんな」 
 と言いながら、ヒル魔が頭を撫でてくれる。 
 だが三日坊主になるなよと釘もさされ、励まされているのか脅されているのか分からなくなってきた。 
 だがそんな混乱したセナの頭でも、ヒル魔が『お揃い』を嫌がっていない事だけは分かった。 
 再びじんわりしたと嬉しさが込み上げる。頬が温かくて、多分赤くなっているんだろうと思うと、なんだか今更なのに恥ずかしくなる。 
 ヒル魔の視線から逃げるように足元に屈み、鞄の中のペンケースを探した。 
 照れ臭さをごまかしたくて、取り出したシャープペンを握り手帳を開く。 
「えっと、次の練習はー」 
 見えてないのにヒル魔がこっちを見てるのが分かってしまい、セナの声は裏返りまくりになる。 
 真っ白なページより真っ白なセナの頭の中が『どうしよう?!』の一言だけで埋まりかけた、その時。 
「あさって土曜、10時、駅前」 
 斜め前から伸びてきた指が、最初のページの1番上の行をトントンと指す。 
 あさっては練習は休みなはずと首を捻るセナは、自分だけが拾った小さな声に今度こそ耳まで真っ赤になったとわかるほど顔をほてらせた。 
「そんなの書いたら人に見せられないじゃないですか…」 
 見られたくない内容(ヒル魔の手帳とは違う意味)で手帳が埋まっていきそうな予感に、ドキドキが止まらないセナだった。 
       
       
       
       
       
                                   Fin. 
       
                           2009. 9.19  
       
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