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      夏の日 
       
       
       
       窓を閉めていても聞こえてくるセミの鳴き声。開けられた窓から聞こえるそれは賑やかを通り越してやかましい。 
 夏はどこも暑いものだが、日本の湿気にはいくらたっても慣れそうにない。このベトベトを表現するのに「茹だる」とは、日本語は想像力が必要な言語だなぁとディーノはぼんやり思った。 
「恭弥ぁ、ここ暑くね?」 
「イタリアの夏は寒いの」 
「いや、あっちだって暑いけどさー」 
 そーゆーことじゃなくって。 
 仕事をする雲雀を待つディーノという構図はいつもと同じ。 
 違うことといえば。 
「エアコン付けねぇ?」 
「必要ない」 
       雲雀のつれない一言にディーノは机に突っ伏した。 
       
       
 夏休みの真っ只中。 
 運動部すら練習を自粛する暑さのなか、雲雀は涼しい顔で応接室にいた。 
「暑いー暑いー」 
「うるさくするなら出ていけ」 
「黙るからここにいさせて下さい」 
 ホテルに戻れば快適な空間で心地よく過ごせるだろう。 
 でもそこに雲雀はいない。 
 仕事をこなして時間を作ったのは、可愛い恋人に会うためだ。暑かろうが寒かろうが雲雀と一緒にいられないならこの時間に意味が無い。 
 これ以上は部屋を追い出されると経験から学んだディーノは大人しく黙った。 
 チラリと送られた冷たい視線で涼しくなれたら良かったのに。 
 そう思ったディーノだったが、残念ながら胸の内がほわほわするせいで余計に暑くなってしまった。 
 
 
 パタンという音に目覚めて、ディーノは自分がうたた寝していたと気付いた。 
「終わった?」 
「うん。お腹すいた」 
「おー綺麗な夕焼けだなー。よっし、何食べたい?」 
「和食」 
「和食な」 
 戸締まりをして出てきた雲雀と並んで歩く。 
「なぁ恭弥、明日の予定は?」 
「午後はあなたと遊んであげる」 
「午前中は風紀の活動?」 
 それが何か?と目で問われる。 
「恭弥は休みって取らねーのか」 
「僕はいつでも好きな時に休むよ」 
「あぁうん、そうだな。いや、そうじゃなくって」 
 雲雀は基本的に並盛中学に居る。居なければ決まって「取り締まり活動中」の返事。学校にいるか風紀活動中かの2択なのだ。 
 ディーノが以前調べた「日本の中学生」と違いすぎる。(かといってツナや山本のように遊ぶ雲雀など想像できないのだが) 
 気になる事は本人に聞くのが一番だ。 
「普通の中学生みたいに遊びたいなとか思わねぇ?」 
「あなたの言う普通って何」 
 ストレートを投げたらブーメランで返ってきた。 
「あー、えーっと」 
 スポーツ、ゲーセン、買い物、カラオケと頭の中で並べてみる。が、どれもディーノの知る雲雀にはすこぶる似合わない。 
 うんうん悩むうちに立ち止まった雲雀に気付くのが遅れた。 
 一歩先から振り返ると強い眼差しがディーノを見つめていた。 
「普通が良いの?」 
 あなたがそれを言うのかと問われた気がした。 
 雲の守護者に選ばれる前は雲雀は「ちょっと強い普通の中学生」だった。いくら周囲に取り締まりの厳しい風紀委員と恐れられていようが、ディーノ、いやマフィアにとってはそれは可愛い手遊びの範囲。 
 そんな「ちょっと強い中学生」から「普通」を取り上げたのは、誰だ。 
「…ごめん、俺が間違えた」 
 ディーノの返事ともつかない言葉にふんと鼻を鳴らし、雲雀は止めていた足を動かしだす。追い付いた雲雀のスピードに合わせてディーノも廊下を進む。 
 無言で歩きながらもディーノは必死に考えた。なんといっても振った単語がマズすぎた。イロイロ型破りな雲雀だが、マフィアのボスに「普通」を説かれても白々しく感じても無理はない。 
 気まずさの漂う空気をなんとかしたい。自業自得とはいえ車という言わば逃げ道のない空間で、この空気は辛いものがある。 
 靴を履き変え校舎を出る。門の側に寄せられた車を見ながら「やっぱ恭弥の機嫌がなおる話題なんて手合わせの誘い位かなぁ」と滞在スケジュールを練り直していると、隣からため息が聞こえてきた。 
「恭弥?」 
「落ち込むなら最初から言わないで」 
 うっとうしいと言われて頬に手をあてる。 
「そんな顔してたか?」 
「ご飯を食べる時に目にしたくはないね」 
 暗い顔をしたつもりはなかったのだが。ただ、今の発言で雲雀がそれほど機嫌を損ねていないと分かった。 
 雲雀から変えてくれた空気にホッとして、ついでに甘えてみた。 
「恭弥は俺の顔、好き?」 
「嫌いならぐちゃぐちゃにしてから整形を勧めてる」 
「…そっか」 
 出会ってから今まで整形を勧められたことはないので合格ラインなのだろう。(ちなみに雲雀はディーノの好みど真ん中である) 
 それに好きな人から「好き(間接的かつ都合の良い解釈による)」と言われて嬉しくないはずがない。自然と綻んだ頬にチラリと雲雀が視線を向けた。 
「第一、あなたがミスするなんてしょっちゅうでしょ」 
「…スマン」 
 慣れたとばかりに肩をすくめられては頭を下げるしかない。 
 しかし神妙な顔をしながらも、ディーノは嬉しさに小躍りせんばかりだった。 
 何度も渋い顔をされた「ミスった!」とさっきの失敗は全く違うとディーノは知っている。しかし雲雀は一緒だと言って流してくれる。分かった上か否かは分からなくても、雲雀が許そうとしてくれる、それが嬉しくてたまらない。 
 そんなやりとりをするうちに校門に着くと、ボスを認めた部下がドアを開ける。 
 雲雀に先に乗るよう促してディーノは部下に代わってドアを押さえた。 
 屈む雲雀のうなじが夕日にキラリと光る。 
「恭弥も汗かくんだな」 
「…あなた、僕をなんだと思ってるの」 
 睨んでくる上目も可愛いなんて反則だ。 
 雲雀が奥に詰めたのを確認してディーノも乗り込みドアを閉める。ディーノが店の名をあげると、滑るように車が動き出す。 
「あの暑い中で涼しい顔してるからさ」 
「顔しかめたって涼しくならないよ」 
「そーゆー事じゃなくて」 
「あのエアコン故障中だから付けたら室温10度位になるけど、その方が良かった?」 
「それ先に言えよ…」 
 それでは涼しいを通り越して風邪をひいてしまうではないか。 
「あなたがどう思ってるか知らないけど、僕だって暑ければ汗をかくし寒ければ震える。ただそれを態度に出しても意味がないからしないだけだよ。今日だってエアコン付けても僕は性能が違うから大丈夫だけど、あなたはへなちょこだからね」 
 至極ごもっともな内容に自然とディーノの頭も下がる。確かに暑いと言っても気は紛れるどころか2倍増しになるから不思議だ。 
 加えて、気遣いの言葉の裏に潜む「風邪をひかれたら遊べなくなって困る」が分かってしまって非常に切ない。 
 が、どんな言葉と内容であれ雲雀がディーノを気遣ってくれたことにはかわりない。そこは素直に喜んでおこうと、うなだれた頭を気合いで起こす。 
「それとね」 
 …びっくりした。ディーノが上げた顔の真正面に雲雀の顔。薄めの唇と丸みの残る頬のラインが動くのが目に映る。 
 と、次の瞬間、鼻に痛みが走った。 
「いっっってぇ!!!」 
「…あなた本当にマフィアのボスなの?」 
 鼻を摘み捩られ悶絶するディーノに雲雀の訝しむ眼差しが向けられるが、対するディーノは涙目でそれどころではない。 
「き、恭弥っ、ちぎれるからっっ手ぇ放せっ」 
「僕に命令するな」 
「放してくださいっ」 
「最初からそう言いなよ」 
 ようやく痛みから解放された鼻に手をあてると、熱を持ったような熱さが伝わってくる。 
「不意打ちは卑怯だぞ」 
「伸びてくる手にも気付けないあなたが悪い」 
「うぅ〜」 
 雲雀が言っているのは気配うんぬん以前の問題だ。目の前の動きすら見落とすボケっぷりと雲雀に受け取られてもしかたない。 
「恭弥に見とれてたんだって」 
「その相手に襲われるなんて馬鹿だね」 
「普通、恋人に警戒心持つ訳ねーだろ」 
「それにしても気を抜きすぎ」 
 鼻を押さえたディーノの手を雲雀の指がつつく。その軽いタッチと微かに上がった雲雀の口元にディーノは目を丸くした。 
「まぁ、あなたの普通も卑怯も僕とは違うってことはよく分かったけど」 
 瞬きした次の瞬間には消えていた微笑は幻だったのかとディーノは思わず目を擦ってしまう。 
「まだ眠いの」 
「いやちょっと」 
「そう。なら今度はちゃんと僕の話を聞きなよ」 
「お、おう」 
 自然と背筋が伸びる。手も膝に揃えて置いた。 
「並盛の校歌は知ってるよね」 
 …校歌。何を言われるかと身構えた反動で、ディーノの緊張が一気に緩んだ。が、急いで顔その他諸々引き締めなおす。 
 並中第一の雲雀である。その雲雀が改まって言うのだから、校歌だって大事な話に違いない。…多分。 
「『大なく小なく並がいい』。つまり並には幅がある」 
「……」 
「各個人の幅の差くらい僕は気にしない」 
 並盛の幅は僕が決めるけどね。 
 きっぱりした雲雀の台詞にらしいなと思うかたわら、ディーノは別の部分をフル回転させる。 
「最初からあなたと僕が違いすぎることくらい分かりきってる。あなたと僕が一緒のはずないだろ」 
 これは、つまり、あれか、流してくれるとかを越えてるんじゃ…。 
 ディーノの脳内にパァーっと花畑が広がっていく。 
「僕は性能が違うんだから」 
 ……あぁ、そういえば雲雀恭弥君ってこういう子だったネ。パァーと咲いた花が涙と共に散っていった。 
「という事だから、今更あなたの失言くらいなんてことないよ」 
「…寛大なお言葉ありがとうゴザイマス」 
「分かったらその顔なんとかしておいてね」 
「…善処します」 
 ディーノの返事に頷くと、雲雀は深く座りなおして目を閉じた。着くまで起こすなのポーズである。 
 静かになった車内で、細く深い息とともにディーノの肩が下がる。感情のアップダウンが激しかったせいか常にない疲れを感じてしまう。 
 ディーノもそれなりの付き合いの中で『雲雀恭弥』という人物を理解してきたつもりだったが、まだまだ甘かった。だが、不安な反面、これからもこのドキドキが続くのが楽しみで仕方ない気持ちがより大きいのだから、「俺ってMだっけ?」と思わずにいられない。 
「それとね」 
「お、おぅっ」 
 ゴツッと鈍い音に雲雀が横目で見ると、頭を抱えたディーノが唸っている。飛び上がった拍子に頭をぶつけたらしい。 
 まぁそれもいつもの事だと雲雀はスルーした。 
「あなたの所は知らないけれど、日本では中学校や中等学校に籍を置いて通う生徒を中学生と言うんだ」 
 ディーノが頭をさすり顔を上げた先で、真面目な顔の雲雀が言い切った。 
「だから僕は、いわゆる普通の中学生だよ」 
「………お前の普通って枠デカすぎ!」 
 人間とはなんて奥深いんだと思い知らされたディーノだった。 
 
       
       
                                         Fin. 
       
                                      2011.
      8. 7   
       
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