『 閑寂 』




「ごちそうさまでした」
 湯呑みを卓に戻し手を合わせて顔をあげると、向かいで同じようにディーノが手を合わせている。
 頭がうなだれ気味なのは、崩した膝の横にある物体のせいだろう。
 ディーノの周り半径約1mに広げられた紙。その上にポツンと転がる里芋がひとつ。
「芋が滑るなんてありえねぇ…」
 雲雀にはつまみそこねた里芋を天井近くまで飛ばす人間がいる事こそ信じられなかったのだが。


 手合わせを早々に切り上げた雲雀にディーノは驚いたが、雲雀が食事の催促をするとニコニコ顔に早変わりした。
 ディーノは基本、和食とそれ以外の交互に店を選んでいる。例の条件があるため和食を選ぶのは理解できる。が、母国料理のイタリアン以外も連れていかれるのを不思議に思い聞いてみると、「俺が美味いと思ったモンを恭弥にも食べて欲しいから」と嬉しそうに返された。
 なるほど仕事で世界中を飛び回っている人間らしいセリフである。確かに、出される量の多さに胸やけをおこしそうになることもあるが、今まで口に合わない料理は数える程度しかなかった。ディーノの慎重な選択が伺えて、その点は雲雀も(口にはしないが)評価しているのだが。


 いつもはディーノが予約した店に着いていってやるが、今日は落ち着いて食事がしたいと言って、雲雀が指定した店に来ていた。並盛山の裾近くにある店は、こじんまりとしていながら品のあるたたずまいをしており、雲雀の気に入りであった。
 別にディーノが連れていく店だから味は悪くないしうるさくもなかった。しかし、どの店も雲雀をピリピリさせる何かを感じる事があり、ある日ふと気付いた。
 完全に外をシャットアウトした空間。訪れる人間のプライバシーを守ることを約束した場所。表向きか裏向きか、どちらにしても、ディーノがマフィアだったことを思い出せば、あの感覚も納得がいく。
 店を出る時に「あなた、ここ使った?」と言った。おっ、と感心した風の笑顔がディーノの答えだった。


 秋ならば虫の声に聴き入る夕餉だが、陽が落ちるのも早い冬ともなると、雲雀達が通された離れには静寂だけが漂っている。
「さっさと立ちなよ」
 さすがに雲雀もディーノに正座を強制はしていない。したがって足がしびれるはずもないが、急かされたディーノは芋の件が尾を引いているのか立ち上がる気配もない。
 ここに来るのにディーノの運転する車に乗ったため、ディーノが動かないと雲雀は歩いて帰宅しなくてはならない。もちろんディーノの群れは着いてきていたが、狭い車内における雲雀の妥協範囲はディーノ+運転手までだ。
 よほど芋が吹っ飛んだのがショックだったのかと呆れるが、別に雲雀が何か言ってやる義理もない。
 こんな状態の人間の運転など信用できない。好きなだけ落ち込めば後は勝手に浮上するだろうと、雲雀はディーノにかまわず裏庭に面した障子をあけた。
 濡れ縁に出て板敷きに座り、空を眺める。ひんやりとした空気に星がちかちかと光るのが見えた。
 カサカサと軽い音と近づいてくる気配がした。
「風邪ひいちゃうぞー」
 紙を踏み越えてきたディーノが横に座る。
「風邪ひくよ」
「恭弥がいるから大丈夫」
 どうして大丈夫なのかさっぱり分からない。
 だが手合わせの予定があるならともかく、明日帰国する相手の体調が崩れようが雲雀には関係ない。
 空を見たままの雲雀に気を悪くするでもなく、ディーノも月の無い空を見上げた。
「…こーゆー店が恭弥の好み?」
 何気ない言葉の中の窺う響きに、軽く呆れた。
 別にディーノの店選びが気にいらないとは言っていない。雲雀は「食事」をしにきているのだから、そこで誰が、何を、してきたかなんてかまいはいない。いまさらディーノの稼業など咎めはしないというのに。
「星が見たかっただけだよ」
 今日は午前中に降った雨が空気を澄ましていたけれど、街中では街灯が邪魔をする。
「あー、そういや綺麗だなー」
 目を細めて見上げる様子は子供にも大人にも見えて。
「ねぇ、星座って同じなの」
「星座?同じ北半球だし日本もイタリアも変わんねーと思うけど?」
「今見えるのって何座なの」
「え、俺、星には詳しくなくって…」
 へらりと笑って頭をかく姿もどっちにも見える。
「何なら分かるの」
「北極星くらいは」
「どれ」
「えーと……、あれ?やべっ、分かんねー!」
「そう」
「どうしよう恭弥!俺なんでか迷子になりやすいからリボーンにあれだけは忘れるなっつって叩き込まれたのに!!」
「でも見えないんでしょ」
「待て待て待て、諦めるのはまだ早いって」
「時間の無駄じゃない?」
 だいたい、夜道で迷って北極星を頼りに方角確認なんて、一体どんな場所での迷子を想定しているんだか。そもそも、その歳で迷子の心配をすること自体がバカバカしい。


「帰るよ」
 横で夜空を睨んでいるディーノに落ち込んだ様子はもう見当たらない。これなら運転させても大丈夫だろう。
 雲雀が立ち上がり、まだ唸っているディーノの後ろ襟を引っ張ると、渋々ディーノも立ち上がった。
 しおしおに萎れたディーノに雲雀はひそかにギリギリ及第点をつけていた。
 ここでディーノが「あれだ」とか言い出したら、見捨てて雲雀は放置を決めただろう。見栄を張らずにいたおかげで、ディーノは雲雀の嫌いな「嘘つき」にならずに済んだが、もうひとつの事実を落ち込むこととなった。
 実は、裏庭は南に面しているので北極星が見えるはずがなかったのだった。


 室内に戻ると、ディーノの回りに敷かれていた紙とその上に点々と落ちた料理の数々に改めてため息が出る。
 最初はあまりの惨事に「いいかげんにして」と叫んだものだ。だが最近は粗相も徐々に減ってきたし、散らかすたびにする情けない顔に免じて目をつむってやることにしている。
「ごめんな」
「何を謝ってるの」
 ディーノがすまなさそうに謝るが、片付けるのは店の者だから雲雀に謝るのは間違っている。それに店の者に見られて恥ずかしいのもディーノであって雲雀ではない。
 それとも時間がかかることを言っているのだろうか。
 箸使いに苦心するディーノの食事は時間がかかる。雲雀もそれに合わせるため、温かい料理以外はゆっくり箸をすすめている。
 これは雲雀が自分でしていることだから、ディーノに謝られる必要などどこにもない。
「ゆっくりでいいよ。ちゃんと待っててあげるから」
 そう言うと、ディーノは驚いて目を丸くし、照れたように笑った。
 その笑顔で雲雀の脳内に「浮かれたディーノの運転に注意」のランプが点滅したことは言うまでもない。



 こうして、雲雀はこの日は安全に帰途に着いた。
 しかしこの後、しばらく和食が続く原因を作ったこと。雲雀の発言を「恭弥が俺のチャレンジクリアを待っててくれてる!」と超前向きにディーノが受け止めてしまったと、雲雀は全く思いもよらなかったのだった。




                                          2011. 11. 9

                                  Fin.




「いいかげんにして」という一文を使おうとして
考えたお話です。
きっかけと結果はあまり重要ではないのだと
つくづく思い知らされます。

タイトルにいつも悩みます。
このSSの仮題は「芋の失敗」でした。
さすがにやめました(笑)