『雨音』




 以前は雨の日が好きじゃなかった。
 むしゃくしゃすると言う機嫌の悪い連中にパシリにされる事が多かったから。
 でも今は・・・・・・



 梅雨に入って雨の日がぐっと増えた。おかげで運動部は練習場所を確保するのも大変だ。
 ボールを使った練習が出来ないから、もっぱら基礎トレに終始する毎日。基礎体力が無い僕はこれについていくのも大変なんだけど。

 練習が終わって着替えも済んだ頃、パソコンを叩いていたヒル魔さんが指で僕を呼んでいる事に気づいた。
「なんですか?」
「糞チビは写真の整理があるから残れ」
「セナをそんな風に呼ばないでっ。写真の整理なら私がします」
「うるせー糞マネ」
「私もそんな名前じゃありませんっ」
「ま、まもり姉ちゃん」
 ムキになるまもり姉ちゃんを押しとどめる。
「写真を整理して相手チームを分析するのは主務の仕事だから」
 みんなと一緒にトレーニングをしている僕も、まもり姉ちゃんにとっては「選手に付き合わされている主務」なのだ。部活をしろと勧めた手前、前向きな僕を止める事はしてはいけないと思ってるっぽいのがなんとなく分かる。
「そうね、自分の仕事だもんね。頑張ってねセナ」
「う、うん」
 自分で言ったセリフに後ろめたくなる。 だって僕に出来るのは本当は整理までで、分析なんてとてもじゃないけど出来ないんだから。

 頑張ってねというまもり達を見送り、セナはヒル魔の元に戻った。皆が帰って一気に静かになった部室には、ヒル魔さんが叩くキーの音だけがしている。
「お待たせしました、写真ってどこですか」
「そこにあるやつ」
「これですか」
 いつのまにかテーブルの隅に出されていた写真を手にとって気付く。
 この間分けたのと同じような気が・・・
「やりなおし」」
「え?」
「やりなおしじゃねぇな。追加だ」
 つまり攻撃も守備もごっちゃの束にダメだしが出たのだった。
 攻撃と守備で分けろと言われてもな・・・。それが出来れば最初からしたんですけど。言っても無駄な事はもう分かっていたので大人しく椅子に座った。

 写真とにらめっこをしながら数十分。写真の場面を思い出そうとすると、その時のいろいろなものが蘇ってくる。応援の声。審判のホイッスル。セットのかけ声。踏みしめた土の感触。メットの中で流れる汗。渡されたボールの確かさ。耳元で鳴る風。今までの自分には馴染みの無い物ばかりなのに、呼び覚まされる記憶は鮮明だった。
 思いっきり走りたい。
 ゴールまで駆け抜けたい。
 そして・・・
「手が止まってんぞ」
 言われて握り締めていた写真を慌てて束の上に置いた。
「終わりました」
 自分なりに分けてみたものをヒル魔さんの前に置いた。
 パララララとめくると、それぞれ半分程を抜き出して別にする。
「攻撃は攻撃でも相手チームとごっちゃになってる。30点ってトコか」
 やっぱり駄目でしたか・・・ 主務の肩書きが泣いてるな。
「雨まだ降ってんな」
「そうなんですか?」
 部室は防音になってるのに良く聞こえるなと思ってドアを開けると、だいぶ小降りになった雨が水溜りに跳ねていた。
「時間潰してりゃ上がるかと思ったのによ」
 って事は僕は暇つぶしに使われたって事ですか? そうだよね、だってめくっただけで写真分けちゃったんだもんこの人。
 あれ? って事は、僕が整理しなくても良かったんじゃ・・・
「ヒル魔さん、さっきの写真」
「その分けたやつ、ファイリングしとけ」
「はい」
 外の空気が気持ちよかったので、少しドアを開けたまま椅子に戻る。
 4つに分けられた写真を手に取って、ページを分けて貼っていく。ぺったぺったと貼っていると、
「ボケッと見てんな。ちゃんと見ながら貼れよ」
 と声が飛んできた。
 そうだよね、分からないなら分かるように頑張らなくちゃ。
 僕が写真を貼っている間、キーを叩く音と、紙をめくる音と、かすかに聞こえる雨音だけが僕の耳に届いていた。

 それぞれの内容を考えつつ全部の写真を貼り終わり、ファイルをヒル魔さんに手渡す頃にはほぼ雨も上がっていた。
「遅くなっちゃいましたね」
「テメーがちんたらやってっからだろ」
「す、すみません・・・」
「傘さすの面倒くせえな。もう少し待つか」
「そうですね」
 2人して荷物を持ったまま外を眺める。
 なんだか不思議な気持ちがした。いつもは怖いばかりのヒル魔さんと二人きりでいてこんなに静かな気持ちでいられるなんて。
 まだ雲は残っていたけれど、遠くの空は星が光って見えた。
 明日は晴れるかな。そうしたら走れるのにな。
「走りてぇか」
 隣りから聞こえた声にドキッとする。
 見上げるといつものニヤニヤしたものじゃない、初めて見るような目をしたヒル魔さんが居た。
 思いっきり走りたい。
 ゴールまで駆け抜けたい。
 そして・・・
「・・・勝ちたいです」
「イイ答えだ」
 その満足そうな表情にまたドキッとする。
 でも今度のはさっきと違ってすぐには治まらなかった。
 落ち着け。別に脅されたわけじゃないし怖くなんかないじゃないか。先輩が後輩に笑ってくれただけなんだ。自分に必死に言い聞かせるように心臓を押さえた。
「雨上がったな。帰るぞ」
「は、はい」
 なかなか静まらない鼓動と熱くなっていく顔に気付かれませんようにと思いながら駅までの道を並んで歩いた。実はヒル魔には全部お見通しだったのだと、後になって聞いたのだけれど・・・
 駅で別れて電車に乗ると、締まったドアのガラスに額をつけた。冷たくて気持ちいい。きっとまだ火照ったようになってるんだろうな。
 ひんやりとしたガラスの向こうに見える空をみながら、雨の日もいいかもと少し思ったセナだった。



 多分あの時、初めて『ヒル魔さん』を僕は見たんだ。
 『怖い人』という括りの1人ではなく、『蛭魔妖一』という人を。
 2度目に感じた鼓動は今も胸で鳴っている。
「なーに笑ってんだ」
 抱きこまれた腕の中。今の僕が一番落ち着く場所。
「出かけるのが潰れてむくれてたんじゃなかったか」
 今日は雨で用事が潰れたので、ヒル魔さんちで録画した試合を見ていたんだった。それは2人で出かけるのも楽しみだったけど、こんな風にゆっくりするのも大好きで。
「残念でしたけど、でももういいんです」
 窓の外から聞こえてくる雨音があの日を思い出させてくれる。
「だって僕、雨も嫌いじゃないですから」
「俺も嫌いじゃないな」
 甘えるように擦り寄ると、回された腕に力がこもった。
 雨が嫌いじゃないと言ったヒル魔さん。その理由が自分と一緒のような気がして、心地よい腕の中でうっとりと目を伏せたセナだった。



                                2007. 6. 17

                                   Fin.



最初の方のお話ですね。
時期的な物を考えてたらこんな感じかなーって。
時期ついでに1周年を兼ねてフリーにしてました。
(お持ち帰りフリー期間終了)