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      夢幻 
       
       
       
      日本全国寒波に襲われた今年の冬。 
泊まりの用意をしてこいと言われセナが連れて行かれたのは、まばらな民家とたいして変わらぬ小さな温泉宿だった。 
       
       
「うわー真っ白!」 
「はしゃぎすぎて転ぶなよ」 
「分かってまーす」 
ヒル魔の部屋で用意されていた防寒具一式でモコモコになったセナは、林道横のすねまである雪を蹴っていた。林道は踏み固められていたが、林の中は膝の高さまでありそうな雪が積もっている。 
「お客さん、僕らだけなんですか?」 
「そうみてーだな」 
電車と車を乗り継いでここに着いた時は宿だと気付かず、セナはヒル魔の実家かと勘違いしたくらいだった。玄関を開けた時のヒル魔がとても気安く話していたので。 
「宿のおじさん達、嬉しそうでした」 
「そうか?」 
「そうでしたよ。よくこんな所知ってましたね」 
「めったに人が来ないから気にいっててな。なんだ、気味の悪い笑い方しやがって」 
「えーひどい言い方ー」 
でもそんな言葉もセナは気にならない。隠れ家みたいな所に連れてきてもらえたんだと嬉しい気持ちが大きくて。 
       
       
宿に着いた時間が夕飯には早かったので、少し散歩しようと外に出た。背の高い木が両側に広がっているが、天気が良いので道は明るい。 
静かな中を歩いて数分。林の中にぽっかりと教室程の開けた空間が目の前に現れた。 
「きれい〜!」 
頭上から降りてくる光を浴びた雪面がキラキラと輝いている。 
「ヒル魔さーん、見て見てー!」 
防水の利いた手袋で雪を掬いあげて、上に撒き散らしながらセナがヒル魔を呼んだ。 
「埋もれんじゃねーぞ」 
セナにしか見せない笑顔がセナの目に映ったその時。強い風が雪を巻き上げ、視界を白一色に染めた。 
風がおさまり目の前にもとの風景が広がる。 
「・・・ヒル魔さん?」 
木立からセナを見ていたはずのヒル魔の姿が見えない。 
先程よりは弱い風が軽く雪を運ぶ。 
キラキラと光る空間にいるのは自分だけ。 
      一瞬、セナは全てが夢に思えた。 
       
      キラキラと光る空間にいるのは自分だけのような錯覚に捕われる。 
      真白の空間に1人。 
 
      ・・・・・・あれ、夢だったのかな・・・・・・ 
 
      アメフトを始めた事も。 
      仲間が出来た事も。 
      クリスマスボウルを目指している事も。 
・・・ヒル魔と出会った事も。 
 
そう感じてしまうと、諦めがセナの全身を包んだ。自分がこんな幸せになれるはずないじゃないかと。 
冷たい空気に『小早川瀬那』という存在が解けていく。 
あぁ、やっぱり夢なんだと目尻から雫がこぼれた次の瞬間。熱の囲いがセナを閉じ込めた。消えていくばかりだった『小早川瀬那』が戻ってくる。 
「・・・セナ」 
腕と背中にきつく回された熱。熱を感じる場所から徐々に感覚が戻る。 
『自分』が満ちたセナの指先がゆっくりと上がり、触れた所にしがみついた。 
「・・・テメーは幻なんかじゃねぇ」 
「・・・はい」 
「消えるな」 
「消えませんよ」 
互いの顔が近づいて熱を分け合う。 
熱に浮かされるように貪り、息が上がる頃にようやく腕の力も緩んだ。 
「戻るぞ」 
「・・・はい」 
来た道に足を向けるヒル魔を追いかけ、ふと後ろを振り返るセナ。 
真っ白い空間。夢も幻もそこにはない。 
「糞チビ!」 
「はいっ」 
木立の中からヒル魔がセナを呼ぶ。あの人が呼んでくれる限り『自分』は消えない。 
「夕飯なんでしょうね」 
      「食い過ぎて糞デブみたいになるなよ」 宿への道をたどり、白い空間に背を向ける。どちらともなく手を伸ばし、握りあった温もりを確かめ合うように2人並んで歩いて帰った。 
       
       
山間の陽は落ちるのが早い。帰る頃には周りは薄暗くなっていた。 
おかえりと迎えてくれた老夫婦の心づくしの食事を味わい、離れに用意された風呂を堪能したセナとヒル魔は、主人の昔話に付き合った後、部屋へ引き上げた。 
「ご飯、ホントに美味しかったですね」 
「テメーにしちゃ食ってたな」 
      枕もとに障子張りのライトだけ点け、並べられた布団に潜り天井を見上げる。 
「・・・そっちへ行ってもいいですか」 
答えの代わりに持ち上げられた掛け布団へセナが滑り込む。2人で寝るには狭い布団からはみ出ないようピッタリくっついた。口を閉ざすと、小さい部屋は驚くほど静かだ。 
目を閉じたセナはあの白い場所を思い出す。誰もいない、自分さえ消えてしまいそうだった。 
宿の主人の様子だと多分何度も来ているはず。ならば、あの風景も見た事があっただろう。 
・・・1人で。 
思わずヒル魔の浴衣を握ったセナの手にヒル魔の手が重なる。 
「俺はここにいる」 
「・・・」 
「テメーもここにいる」 
確かめるようにも、言い聞かせるも聞こえる声。 
「だから大丈夫だ」 
触れた手に指を絡めた。握りしめて握り返される。 
「夏にまた連れて来てやる。涼しいぞ」 
「練習は?」 
「2日間くらいなんとかなんだろ」 
「帰ったら倍の練習が待ってるんでしょ?」 
「当ったり前だ」 
      「えー! ・・・でも、そうですね、また来ましょう」 
ヒル魔さんは夢じゃない。 
僕も幻じゃない。 
どこにいても2人なら・・・ 
      触れ合った所から伝わる熱が全身を巡っていく。 
       
       
       
      この熱がある限り、白い夢はもう見ない。 
 
       
       
       
                                         Fin. 
       
                                      2008.
      2.21   
       
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