| 
       
       
       
      Stopmotion 
       
       
       
        「美味かったな、恭弥!」 
 弾んだ声が聞いてくる。 
「また来ような」 
 横を歩くディーノの言葉は約束をねだるようだが、返事を求められたことはあまりない。 
 いま出てきた店の明かりを背に受け、輪郭をぼんやりと光らせているディーノを横目で見た。 
「戦闘の後なら」 
「やっぱり?」 
 へらりと笑う顔がむかつく。 
「んじゃ、早く来た日じゃないとなー」 
       一度戦闘が始まるとなかなか終わらない(雲雀が終わらせない)ため、昼過ぎに並盛に着いたら、戦闘終了と同時に雲雀は夢の中という日も少なくなかった。 
       少し離れた駐車場に向かい、ディーノはゆっくり足を進める。雲雀にはじれったい程のスピードだったが、車に同乗する相手を置き去りにしたところで意味が無い。ディーノが来なければ運転手は車を動かさないし、動かない車を前にして待たされるのもイライラするだろう。それくらいなら、ゆっくり歩くのに付き合ったほうがマシである。 
「今日はラッキーデーだな」 
「おなかすいてたからね」 
       屋上でうたた寝していた雲雀を起こした着メロは並盛中学校校歌。しかし、校歌は校歌でもただ一人だけに設定されたそれは、どうやって作ったのか、ディーノが歌ったものだった。 
      『美味いハンバーグを出す店を見つけたからどうしても雲雀と食べたい』との誘いを了承し、屋上を後にしようとして見えたフェンスの向こう。ちょうど裏門に迎えの車が走ってくるのが見えて雲雀を呆れさせた。 
「ねぇ、迎えが来るの早過ぎない?」 
       ディーノが待っていた店は中学校からまっすぐ車で30分かかった。雲雀の了承を取り付けてからにしては早過ぎる。 
 雲雀が横目で見上げると、飴色の瞳がスーッと逸らされる。 
「それはたまたま近くに部下がいたからさー」 
「ふーん……」 
 雲雀の相槌に不穏な気配を感じたのか、足を止めたディーノは90度近く腰を折った。 
「……ゴメンナサイ、ホントは近くに待機させてました」 
「あなたほど僕をむかつかせるのが上手な人はいないよ」 
 雲雀の気が変わる前に急いだといったところか。 
       一度『行く』と言ったからには、よほどのことがない限り雲雀はそれをひるがえそうとは思わない。約束は約束だからだ。 
 だがディーノは雲雀を疑った。これがムカつかずにいられようか。 
       雲雀の腕が微かに動いたが、雲雀の隣で深く下げられたキラキラ頭を見つめたあと、そっと腕を戻した。大人しく殴られるつもりの相手なんてつまらない。 
 雲雀の腕の動きに気付いているはずのディーノは頭を下げたまま動かない。 
 あきらめの深いため息が雲雀の口から零れた。 
「懐石料理…」 
       雲雀の様子を窺うように上げられた顔からは、『それは一体どーゆー意味デスカ?』とマジックで書かれたようにくっきりと読み取れる。 
       その表情も態度も子供っぽいと言えるほど。どうみても開けっ広げで気安いイタリア人にしか見えない。しかし、それが全てではないことを雲雀は感じている。 
       演技と本音の境があるような無いようなディーノ。もしかしたら本人にも見えなくなっているかもしれない。そのあやふやな部分が雲雀をいらつかせることも多いと、ディーノは気付いているようだが態度を変える様子は今の所ない。 
       変えないのか変えられないのか。雲雀としてはムカついて仕方ないが、あっさり変わればそれはそれで胡散臭い。 
       もしかしたらこの『自称家庭教師』は雲雀の戦闘力ではなく忍耐力を鍛えにきているのではと疑うこともしばしばあった。それなら自分は十分忍耐強い人間だと追い払えるのだが・・・。 
「次は懐石料理にしなよって言ってる」 
 次という単語に反応して、ディーノの眼が期待に輝きだす。 
       ディーノの気に入らない点ならいくつも出てくる。群れている。部下がいないとヘナチョコ。部下がいても本気を出さない。最たるものは雲雀に構おうとする所。あれはかなりうっとうしい。 
 しかしディーノは強い。それは雲雀も認めざるをえない。 
       風紀や秩序を乱す連中は後から後から湧いてくるから取り締まる対象には困らないが、群れた草食動物は雲雀が『戦闘相手』とみなすには弱すぎる。並盛には雲雀を楽しませてくれる相手がいないのだ。 
       ムカつく部分は多々あれど、雲雀が疲れたと思えるまで戦えるディーノは雲雀には貴重といえた。強さを求める雲雀にとって、つかみどころのない人間だろうと、ディーノが強くあるかぎり多少の妥協は仕方ないと納得させているのだ。 
「明日9時、屋上。遅れたら次はないから」 
 雲雀の言葉をどう受け止めたのか、ディーノの顔はパァーっと明るくなる。 
       自分がこんなに甘い人間だと思わなかった雲雀だが、相手はディーノだけなので例外で納まる範囲だろう。 
 それに、例外だからといって何もかも許されたと思うなら大間違いだ。 
「恭弥っっ」 
 チャキッ 
「…なんのつもり」 
「か、感謝のハグとキスがしたいなーと…」 
       抱き寄せようと広げられたディーノの腕はそのままの形で固まり、頭は軽く後ろに反らされている。翳されたトンファーが、ディーノの首元ギリギリで鈍い光を放つ。 
       そろりと後ずさり距離をとったが、ディーノの腕は雲雀に向かい伸ばされたまま。ハグを諦めていないと態度で示している。だが、それに付き合う義理は雲雀にはない。 
「あなた、僕の何だったっけ」 
「えっと、家庭教師で」 
「自称」 
「えー…」 
「僕は認めてないから」 
「ちぇーっ。そんでー、恭弥の恋人!」 
「足りない」 
「…恋人候補?」 
「まだ足りない」 
「候補の立候補者…」 
「つまり赤の他人だよ」 
「ひでぇ!!」 
「その通りでしょ」 
       キラキラと目にやかましい笑顔から一転、感激にうるんだはずの飴色がショックで揺れる。しかしショックをアピールするよろめいた足の動きも演技臭い。 
「暑苦しいスキンシップは風紀を乱す」 
「こんなんで乱れるかっつーの…」 
 ぶつぶつとこぼす姿はふて腐れた子供そっくりだが、子供以上に可愛くない。 
 やっと腕を下ろしたディーノから雲雀もトンファーを離す。 
       愛器を収め、再び雲雀は駐車場に歩きだした。ディーノが慌てて横に並ぶも、雲雀は気にした様子もない。 
       今日雲雀が連れてこられたのは住宅地の中でこじんまりと佇む店だ。家庭的な雰囲気の店からたいして離れていない場所で交わすには少々物騒な行いであったが、今の二人はそんな気配をきれいに消し去っている。 
「俺は感謝の気持ちを伝えようとだな」 
「手段がおかしい」 
「おかしくねーって」 
       諦めきれないらしいディーノはハグとキスの素晴らしさを熱く語るが、雲雀には暑苦しさしか感じられない語りはきれいにスルーされてしまう。 
       だが、腹も満たされあくびをする雲雀は聞いていないわけではない。ディーノの途切れない語りに感心さえしている。ただそれ以上に、相槌をかえしてやる自分は本当に律義で感心に値すると思っていたが。 
 
       
       
 駐車場まであと少しという場所へ差し掛かったその時。 
       鋭い音が鳴ると同時に、ディーノが固まった。横断歩道に踏み出そうとした格好で、やや前傾姿勢のまま顔だけが雲雀を向いている。 
「あのさ、恭弥…俺なにかした?」 
 トンファーが首すれすれに突き付けられているのは先程同じだが、今度はギミックが発動している。 
       風が吹いてヒヤリとしたこめかみに、ディーノは自分が汗をかいていると教えられる。心拍数も上がっているかもしれない。 
「赤だよ」 
 言われて見ると、歩行者用の信号が赤く点灯していた。 
       ゆっくり足を引き、鋭く光る刺から身を遠ざける。それが『危険と断じた感覚』ではなく、『トンファーという物質』だと視認できるまで距離取って、ディーノは無意識に止めていた息を肺からこぼした。 
       雲雀も腕を下ろしてギミックを解除する。よく見ると二人の立つすぐ横の電柱には、歩行者信号用の切り替えボタンが設置されていて、雲雀が赤いボタンを押すと『お待ち下さい』の文字が点滅しだした。 
       ついさっき人のけい動脈を狙って制止を強制したことなど何でもないといった様子の雲雀に、ディーノの声に珍しく刺が混じる。 
「…いくらなんでもソイツは危なくねーか?」 
 抱き着こうとした時と違い、一歩踏み出していればディーノは確実に致命傷をおっていただろう。 
「車、走ってねーじゃん」 
       実際、店からここまで人も車も行き会わなかった。閑静な住宅地の中、そう人通りや交通量が多いとも思えない。先を急ぐ人なら迷わず横断歩道を渡っているだろう。 
「信号を守らない理由にはならないよ」 
「ここは並盛じゃないぜ?」 
「だから何。並盛以外ならハメを外してもいいかって?」 
 雲雀がディーノを見上げてくる。 
      「並盛を出たくらいで外れるなんて箍が緩過ぎる。そんな箍の持ち主が並盛に戻ったって自己を律する事が出来ると思う?」 
 ぐうの音もでないほどの正論だ。 
 何を含むでもない雲雀の目に、苦笑いのディーノが降参と手を上げた。 
      「恭弥はいつでもどこでも『風紀委員長』なんだな。俺はハメ外して部下に怒られるなんてしょっちゅうだぜ?いつでも『ボス』なんて肩がこりそうで無理矢理」 
 さすが恭弥だなとディーノが笑う。それを見た雲雀が首を傾げた。 
「…そうかな」 
 思いがけない言葉を聞いたとばかりにディーノが目を瞠る。 
「恭弥?」 
       それはどういう意味だとディーノが問おうと口を開く寸前、興味が失せたのか雲雀は信号に目を移した。つられて見上げたディーノの目にも、対角の車道用信号が黄色から赤に変わるのが見えた。 
「まだ渡っちゃ駄目だよ」 
 雲雀が念を押す。 
「えー、もう変わるだろ」 
「あなた死にたいの」 
「へっ?」 
       聞き返すディーノが雲雀に目を戻す。と、キラリとディーノの背後から光が射したと思った直後、強い風が二人のすぐ側を走り抜けていった。 
 あおられた上着の裾がはためく。落ち着いたと同時に赤だった信号が青に変わった。 
 振り向いた姿勢で固まったままのディーノをよそに雲雀が歩き出す。 
 雲雀が横断歩道を半分ほど渡ったところで、ようやくディーノが動いた。 
「あぁっ!置いてくなよ恭弥っ」 
「足元、気をつけて…」 
       『歩きなよ』と続くはずだった。途切れた言葉は『ベシャッ』と聞こえた音で無駄に終わったと振り返らなくても分かる。 
       立ち上がる気配の無さに振り向けば、地面に張り付くキラキラが街灯に照らされ浮かび上がっていた。 
「起きれば?」 
「………」 
「帰りたいんだけど」 
 ディーノがいなければ車(運転手)はそこから動けない。促されてやっとムクリと起き上がる。 
       立ち上がったのを確認して雲雀が再び歩きだす。今度はディーノも転ばぬように、慌てず、慎重に雲雀を追い横に並んだ。 
「車なのになんであんなに音がしねーんだよ。詐欺だろ」 
 服に付いた埃をはらいながら、ディーノは拗ねた口ぶりでぼやく。が、雲雀は一蹴した。 
「あなたの車はうるさすぎ。でもハイブリットは静かすぎて危険だってどこかで聞いたよ」 
「絶対危ねーって! さっきの、恭弥も見ただろ」 
「見たね」 
「危なかったよな?!」 
      「そうだね。信号を守らすに轢かれかけたり、足元の確認を怠って転んだり。あなたは本当に危なっかしい」 
「そこじゃねー……」 
「あぁ、そういえばさっきの車、信号無視にスピード違反だったね」 
       ディーノは車道信号が赤になったのを見て歩きだそうとしたのだ。つまりあの時は信号全てが赤だったという事になる。 
「あれは罰せられて当然だね」 
「そうだよなー!」 
「違反寸前のあなたは偉そうに言えるの立場なの?」 
「すみません……」 
 雲雀の言葉にディーノはうなだれるしかなかった。 
 
 
 
      たかが数百メートル先の駐車場に着くまでにずいぶん気力体力を消耗した。そう感じたディーノは、雲雀を奥に座らせ、後から乗り込むなり上体を横に倒す。 
「ちょっと!」 
「疲れてたの思い出した」 
       膝貸して? そう言って雲雀を見上げてくるキラキラが、暗い車内ではこころなしか少しくすんで見える。 
       厄介事などディーノにとっていつもの事だが、今回は日本にくるギリギリまで引っ張ってしまった。気分的にはスッキリしていたものの、体力が戻るほど休めていないままの来日。腹も満たされ、ディーノを強烈な睡魔が襲う。ふざけて甘えて見せたものの、ディーノからにじみでている疲労は本物だった。 
「あれ、怒らねーの?」 
       すぐにはがされると思ったのに、ディーノの頭は雲雀の膝に乗ったまま。予想と違う雲雀の反応に見上げれば、仕方ないとばかりに肩をすくめられた。 
「動かして更に馬鹿になられたら困るからね」 
       転んだ時に打ったのは顔面で頭ではない。が、それを指摘しては退けと言われてしまう。棚ぼたな状況を心置きなく堪能させてもらおうと、ディーノは決めた。 
「それとも『厚かましい』って怒られたいのかな?」 
       そんなディーノの思惑を察しているのかいないのか。淡々とした雲雀の顔には怒りも呆れも浮かんでいない。 
「俺は優しくされてーなー」 
「僕はいつでも優しいよ」 
「優しい奴がトンファーで脅すのかよ」 
       車に轢かれる前に刺で死にそうになったことをディーノは仄めかす。しかし半分以上は冗談のつもりだから口元も笑っている。 
       抱き着いた時は雲雀の威嚇の気でバレバレだったから、じゃれあいの範囲だとディーノは思っている。だが、信号の時は結構際どかった。なにせ、威嚇も殺気も何も感じなかったからだ。 
       今なら分かる。雲雀はディーノを『危険から遠ざけよう』とした。目的が違うのだから気配も違って当然だ。殺気などあるはずがない。 
「そんなヘマする人に自称でも僕の家庭教師だなんて名乗らせないね」 
       ディーノの予想を裏付けるよな言葉に顔もほころぶ。ディーノならかわせる。それができると認められている。こんな可愛いセリフを聞かされては、期待を裏切るなんて出来そうもない。 
「これからは十分気をつけるぜ」 
 乗車を急ぐあまりに別の車に轢かれては『馬鹿馬』と言われても言い返せない。 
 当たり前だろといわんばかりの雲雀にディーノは柔らかく笑った。 
 
       
       
       翌朝。『車庫に突っ込み自宅と車が大破』と見出しされた記事の載った地元新聞がディーノの手元にあった。 
       夕べの『罰せられて当然』と言った時に携帯でなにやらメールを送っていたなと思い出す。『僕の目の前で秩序を乱すなんていい度胸だ』と言って雲雀は笑っていたが、こうきたかと納得する。 
「警察沙汰にしたのか。恭弥が人に任せちまうなんてな」 
 昨日の一部始終を見ていたロマーリオが珍しいと驚く横で、ディーノが苦笑する。 
「怖ぇーよな、あいつは」 
 意味が分からずに疑問の表情を浮かべる部下に、ディーノが記事を指す。 
「調べてる途中で色々埃が出てきてやがる。轢き逃げもやってたみたいだな」 
       怪我は時間が経てば治る。しかし、犯罪歴は一生消えてくれない『人生の傷』。これから何をするにも付いてまわる厄介な荷物を背負わせた。つまり雲雀は、一時の制裁では生温いと判断したのだ。(ただし、これが『並盛中学校』に関することだったなら、雲雀自身の手で完膚なきまでに叩きのめされただろうことは想像に難くない。) 
「ま、確かにあれならやっててもおかしかねーな」 
       ディーノの後ろを走り抜けた車にブレーキを踏んだ様子は見られなかった。住宅地で出すスピードでもない。今まで捕まらなかった方がおかしかったのかもしれないが、その運も昨日で尽きたようだ。 
       秩序に厳しく風紀が乱れることを何より嫌う雲雀からすれば、ディーノのような人間は相容れない類でも最たる対象だったろう。であったときの立場が違っていたら、今のような(ディーノにとっては)楽しい間柄にはなれなかったなとつくづく思う。 
「恭弥といられてラッキーって言える俺って、実はスゲーのかも」 
 思わぬところで幸運を噛み締めることになったディーノだった。 
 
       
       
       
                                         Fin. 
       
                                      2009.
      11. 3   
       
       |