「あなたがここにいてくれるということ」




「ホンットにテメーは馬鹿だな」
「うぅ〜」
 悔しげにうなるセナだが言い返してこない。ヒル魔が命令した「しゃべるな」を守っているからだ。
 二人は昼前に待ち合わせて飯を食べ、午後から細々とした買い物に行く予定だったが、途中変更を余儀なくされた。
 最初からおかしいなとは感じていたのだ。ただ、体の動きはおかしくないから様子を見たが、どんどん言葉少なくなっていったセナがのどを押さえた段階でヒル魔は全ての予定を切り上げた。
「風邪ならさっさと言え、この馬鹿」
 布団に埋もれたセナがあごを上げかけたのを押さえ込む。
「今じゃない。黙れ馬鹿」
 しおしおとセナは鼻先まで掛け布団を引っ張るが、隠した顔の下半分はすでにマスクにすっぽりと覆われている。のどを痛めたセナはしゃべるのも辛そうだ。
 元々、今日はヒル魔の部屋に泊まり予定だったので、帰り道で薬局に寄り滋養強壮系の栄養ドリンクとのどの炎症用の薬を買い、恐縮するセナを部屋に着いて早々「黙って早く治せ」とヒル魔は布団に放り込んでいた。そしてヒル魔が変装用に買ったマスクを渡したら、目的がアレなので大きめなせいかセナの顔をぶかぶかと覆ってしまっている。
 無いよりマシかとつけさせたが、念のためのどを潤すタイプとやらを買いに行くかと呟くと、シャツの裾をつかんだセナが「行かないで」と目で訴えてきた。
「…行かないから寝てろ」
 ヒル魔が言うと、ふにゃりとセナの目がほころんだ。だんだんと熱が上がり始めたようで、帰宅時よりほんのりとセナの顔は赤くなっている。
 そっと外させた手を布団に押し込んだ。
 今度は見上げてくる目が「ごめんなさい」と言ってくる。
 いじらしい仕種にグッときたが、元々セナが髪を乾かさないで寝たからひいてしまった風邪だ。甘やかすのは別の機会にするかと、とりあえずセナの額に指を突き付けニタリと笑んでみせる。
「謝るより治せ。こじらせる前に治さないと…」
 しかし、ヒル魔がみなまで言う前に、セナは「頑張って治します」とばかりに掛け布団を頭の上まで引っ張りあげる。
 分かりやすいアピールにこっそり笑いがもれる。
 改めて自分のベッドで休むセナの姿を見るとヒル魔はふと感慨におそわれた。
 世話を焼きたいと思い、プライベートに入っても気負わない相手がいるということ。そして、なによりそのことにヒル魔が満足を感じている。きっと数年前のヒル魔なら今の状況を話したところで信じはしないだろう。
 まぁそれもこれも全部セナに対してだけだがなと思いつつ「眠れなくても目は閉じておけよ」との指示に布団の山が動くのを確認して、ヒル魔は静かに寝室を後にした。


 ぽっかり空いてしまった時間をデータ整理に使い、気付くと窓の外が暗くなっていた。
 セナに粥でも食べさせるかとキッチンで棚を探り、目的の物を見つけると鍋で湯を沸かした。
 悪化していたらセナも食欲がないかもしれない。もしそうなら無理に食べる必要はないが、水分だけはとらせなければ。
 やることをつらつら考えながら見つけたレトルトパウチを温め、様子見に寝室へ入ったヒル魔は、しかし考えていた諸々を笑いとともに吹き出してしまった。
 セナの頭がちょこんと掛け布団から出ている。
 しかし顔は見えない。
 何故か? それはずり上がったマスクがおでこからあごまでを隠しきっていたからだ。
 確かにセナにはぶかぶかサイズではあったが、あまりに見事な覆われっぷりがヒル魔のツボを押しまくる。思わず腹を抱えてうずくまってしまった。
(『な、なんちゃって』とか言って起き上がったらデコピンしてやる!)
 しかし、ヒル魔の決意も知らずマスクマンなセナの頭は静かに上下するのみで、タヌキ寝入りではなさそうである。
 しばし声も出ない笑いに呼吸困難をおこしかけたが、なんとかヒル魔はのどと腹筋を宥めるのに成功した。腹筋が疼くのをこらえてベッドに近寄り、上から覗き込む。
 のびきったマスクのひだは微かな折れ線を残すのみ。
(確かに問題無いっちゃ無いがなぁ)
 目を開けているならともかく、セナは閉じているのだから視界が塞がれていても何も困らない。それでも感触で違和感くらい感じそうなものだとヒル魔は思うのだが。
(それが感じられないぐらい体が辛いのか…)
 ベッドの横に膝をつき、熱はどうかとマスクを目の下までずらして額に手を伸ばす。
 その時、眠っていたセナがぼんやりと目を開けた。
 汗で額に張り付いたセナの前髪をよけ手を当てる。それほど熱は上がっていないようでホッとした。
「起きたか?食欲あるか?」
 ヒル魔が目をあわせて聞くとセナがゆっくり頷く。
 ならばと立ち上がりかけたヒル魔の動きが止まった。
 額に置かれたヒル魔の手にそっとセナの指がかかっている。
「なんか欲しいもんでもあるのか?」
 その言葉にパッと指は離れたが、セナの視線はヒル魔から離れない。
 ヒル魔は上げかけた腰を下ろした。
「どうした?」
 小さくならしゃべっていいぞ。マスクをあごまでずらし、聞き取ろうと顔を近づけた。
「…ヒル魔さんがいてくれるだけで嬉しいから何もいりません」
 ヒル魔が軽く眉を上げると、それを見たセナはホワンと笑った。
「……」
 一瞬言葉に詰まったヒル魔だったが、無言でマスクを引き上げた。マスクの上から鼻を押さえる。
「もうちょっと黙っとけ」
 セナがおとなしく頷いたので、ヒル魔は静かに部屋を出た。
(多分あれは寝ぼけが入ってるな。寝て起きたらまるっと忘れてるが70%ってとこか)
 キッチンに戻りつらつらと考えながらも、ヒル魔の手はアイソトニック飲料と粥と薬を用意していく。
(まぁ覚えてようが忘れてようが、からかいのネタにはしてやるがな)
 どんな慌てっぷりを見せてくれるか楽しみだ。
 ケケケと笑い、さて、どんな話に仕立てようかと今日を振り返っていると、先程のセナの声が耳をくすぐった。
『…ヒル魔さんがいてくれるだけで嬉しいから何もいりません』
 秘密を打ち明けるような小さい声。その時感じた熱が再びヒル魔の耳を熱くする。
 耳が赤くなっているだろうことは分かっているから鏡は見ない。…というか見られない。
 実はセナの可愛い告白という不意打ちをくらったヒル魔は心臓がバックンバックンしていた。うっかり「俺もだ」と言いそうになったなんて、どうかしていたとしか思えない。
 それにセナがさらりと口にしたことにヒル魔が動揺したなんてなんだか癪にさわるではないか。
(……くっそ、無いこと無いこと吹き込んで俺以上に真っ赤にさせてやる)
 つまり、ヒル魔の「からかい」は恥ずかしさからくるただの八つ当たりであって、それをぶつけられるであろうセナは実に災難であるとしか言いようがなかった。


 その頃。当のセナはヒル魔が呼びに来るのを待っていた。
(今日はヒル魔さんに悪いことしちゃったなぁ)
 眠りから覚めるとのどの痛みは薄れていた。具合が悪くならずにすんだのは、早めに休んだおかげだとセナにも分かる。
 自分の体調管理不足で予定を潰してしまったことを反省する。そして「きちんとゴメンナサイとありがとうと言わなくちゃ!」とセナは決意していた。
 もちろん、この後にヒル魔から「報告という名のからかい」が待っていることなど知るよしもなかった。



                        Fin.

                     2013. 6. 7



かいがいしいなヒル魔さん!
もちろんセナだけなんだけどね!