『雨に歌えば




大きくなった雨音に顔を上げる。
朝からずっと降り続けていた雨だった。音が気になるほど強くなった事と、その音が気になるほど部屋の中が静かだった事に今更気付いた。

「えらく静かじゃないか、鋼の」
「あんたが待てっつったんじゃなかったのかよ」
「話すなといった覚えはなかったのだが?」
「終わらせろって中尉に言われたんだろ」
「やれやれ、君はお目付け役かね」
「ぐちゃぐちゃ言ってねーで、さっさとそれ片付けろよ」

エドワードはあと数冊の書類を指して、また黙り込んでしまった。
目線は暗い窓へ向けられている。

「待たせてしまって申し訳ない。お詫びに夕食をごちそうしよう」

外はだいぶ暗くなってしまっていた。少しのつもりで待たせたのだが、思ったより時間がかかっていた。報告書のチェック待ちのために引き止められたのだから、時間を取られている事を怒っているのかと、手を動かしながらもそっと様子をうかがってみる。不機嫌でイラついた様子でこそないが、静かなのがかえって気になる。

「んー、いらねー」

返事もどこか上の空だ。

「成長期に食事を抜くのは感心しないな。よし、背が伸びるメニューを出してくれる店につれて行ってやろう」
「余計なお世話だっつーんだよっ!」

いきおいよく後ろ髪を振り回してこちらを睨みつけてきた。

「それくらいの元気があれば、背だってすぐ伸びるとも。多分な」
「多分ってなんだよ、余計なもんつけんなっ」
「悪かった、言い換えよう。伸びるとも、おそらく」
「意味変わってねーーー!!」

がなりたてる姿を見て安心してしまうなんて、自分でもどうかしてると思うのだが、安心するのも可愛いと思ってしまうのも止められない。
一応の安心を得て気持ちを切り替え、早々に片付けるべく、残りの書類に目を落とす。

しばらくは紙をめくる音だけと雨の音だけが室内に満ちる。
そして最後の書類に目を通し終わり、確認済へ移動させた。

「待たせたね、鋼の。報告書を出したまえ」
「まったく待たされましたよ。ほらコレ」

ぞんざいに手渡された報告書に目を通し、いくつかの点に確認を取ったあと、確認済の書類の上にのせる。

「さて、食事に行くぞ」
「え、ホントに行くの?」
「冗談だと思ったのか。不規則な生活と偏った食事は良くないに決まっているだろう。弟君も呼んで、今度の旅の話でも聞かせてもらおうか」
「・・・アルは来ないぜ」
「来ない?あぁ、雨のせいかな」

鎧に魂を定着させているエドワードの弟には、雨の中の移動は好ましいものではないためだろうと思ったのだがどうやら違ったようだ。
また大人しくなってしまったエドワード。
いつもとは違う、張り詰めたとも沈思しているともつかない、かといって落ち込んでいるわけでも悲しんでいるでもない。ただ静かな空気をまとった彼を見て、手にした上着を戻す。

「大佐?行かねーの?」
「座りたまえ、鋼の」

不思議そうに見返す彼に先ほどまで座っていた場所を指す。

「どーしたんだよ、マジな顔しちゃって」

ちゃかすように話す調子も、よく見るといつもに比べると違う。

「何かあったのかね」
「何って、なんの事だよ」
「分からないから聞いてるんだ」
「何もねーよ。大佐、俺ハラへっってきたからさ」
「エドワード」
「・・・名前で呼ぶなっつってるじゃねーか」
「エドワード」
「・・・・・・別にたいした事じゃないって」

それでもまっすぐに見つめていると、体の力を抜くように息を吐いた。

「ホントにたいした事じゃないんだって」
「たいした事じゃないなら言えるだろう」

再度の促しに諦めたように、またひとつ息を吐いて座る。
そして窓のほうを向いてぽつりと言った。

「ここに来る途中さ、ずっと雨が降ってた」
「あぁ、朝から降っているからな」

つられて窓を見ると、また小降りになった雨がかすかに室内の光を反射させていた。

「宿に荷物置いてこっちに来ようと歩いてたら、音がしたんだ」
「音?」
「そう、音。ドンってなにかがぶつかるような」

思い出しているのか、窓を見ているが目線に力がない。
まとう空気はいっそう静かになるのに、その静かさにエドワードが溶けていってしまうようで、意識しないうちに声をかけようと身を乗り出すと、顔がこちらに向けられた。

「子ネコが車にはねられた音だった」

口調は静かだが、向けられた顔はうつむいていた。

「アルは走ってった。すぐに拾い上げて、通りすがりの奴らに獣医がどこにいるか聞きまわってさ。でも誰も知らなくって、仕方ないから人の多そうな駅へ向かってった。駅に向かう途中で道それてったから、医者のいる場所分かったんだろ。今頃はネコにはりついてるさ」

雨の中、鎧の音を響かせながら走り回るアルフォンスの姿が目に浮かぶ。
ネコを雨からかばいつつ、無表情なはずの面に必死の雰囲気を貼り付けて。

「なぜ鋼はここにいるんだ」
「・・・あんた、馬鹿じゃねーの? さっき目を通したのは俺らの報告書だろ」
「なぜ一緒に行かなかったと聞いている」
「別に、俺がいたって助けられるわけじゃないし」

確かに誰がついたところで、助かる助からないは医者の腕とそのネコの生命力次第だろう。だからといって

「アルフォンス君は、君に一緒にいて欲しかったんじゃないのか」
「・・・そんなことない。怒ってたからな」
「怒る?なぜだ?」

アルフォンスは確かにエドワードをよく怒っているが、それも兄の行動が心配をかけるようなものばかりだからで、嫌っているからではない。
エドワードが笑いながら顔を上げた。

「俺が諦めたからかな」

上げた顔にはあったのは、笑顔といっても苦笑いだった。

「けっこう音がするくらいにぶつかったんだぜ? 見たとたんダメだって思った。だからアルにも無理だろうって言った。そしたら怒られた」


 『なんで諦めなんて言葉使うの?! 兄さんらしくないよ!!』


「だからアルは怒ってるし、ココに来ないし、食事にも来ないよ。以上たいしたことない話、終わり。さ、食事行こうぜ」

話は終わったとばかりに肩をすくめながら、立ち上がり扉に向かう。
その背に声がかかった。

「怖かったか?」
「・・・っ、別に怖くなんて!」

背を向けたままで、尖った声だけが答えてくる。

「そうか。言い方を変えよう。ビビっていたんだな」
「人を馬鹿にすんのもいーかげんにっ」

しかし振り向いた先でにらみつけた顔には、予想した嘲笑はなかった。
怖いでなく、真剣でもなく、温かみや冷たさがあるわけでもない。ただ、静かとしか表現しようのない表情。エドワードはなぜか正視できずに俯いてしまった。

「実は私も銃撃の音は好きではない。・・・体全部に響くあの音は、嫌なものを思い出させる。人がはねられる音も聞いたことがある。やはり思い出したくはないな。あれは嫌な気分になる」
「・・・軍人だろ」
「そうだ、私は軍人だ。命令で戦闘にも出るし、人を傷つけることもある。それに私には部下がいる。私がひるめば彼らにも伝わる。彼らに対して頼るべき存在であることが私の責任であり義務だ。銃が嫌いといって避けて通れるはずもない。私は私の責任と義務において、恐れを表に出すことをよしとしないのさ」

まっすぐに見つめてくる視線を感じて、顔を上げる。
気づいたらつめていた息を吐いて、笑いながら言った。

「・・・・・・それってただのかっこつけって言わねー?」

今度の笑いは、少し泣き笑いのような表情だった。
上着を手に取り、立ち止まっていた足を扉とエドワードへ向けて歩き出す自分の目元と口元が、かすかに緩んでいくのが分かる。

「見栄も張り続ければ自分のモノになっていくのだよ」
「強いな、大佐は」

思いがけない言葉に足が止まった。

「それは賛辞と受け取っていいのかね」
「好きなようにとればいいだろ」

真正面に立つ形になった相手を見上げて、肩をすくめて見せる。
そして顔を窓に向けるとつぶやいた。

「俺も強くなりたい。なんにでも動じないくらい」

瞳に力が戻っていた。目の前を見据えて、引かない強さがそこにあった。
止めていた足を動かし、エドワードの横を通り際に肩をたたいていく。

「強い人間などいないさ、鋼の」
「なんだよ、人の言うことにケチつけようってのか」
「強くありたいという姿勢の人間がいるだけだ」

言い切った笑顔に騙されそうになる。
・・・・・・なんてカッコイーんだと。

「・・・それってかっこつけだろ、究極の」

頭をガシガシかきながら、やはり止めてしまっていた足を踏み出して歩き出す。頬が熱い気がするが無視を決め込む。

「それに考えてみりゃ、銃が苦手だから発火布でパッチンパッチンやってるってことじゃねーの? カッコわるー」
「見もしないで人の技量を疑うとは失礼だぞ、鋼の」
「あぁそっか、銃が苦手だから中尉に頭上がんないんだ。そっかそっか」
「こら、勝手に納得してるんじゃない。誰が頭が上がらないだと」

先ほどまでとは打って変わったにぎやかなやりとりをしながら出口へむかう。外へでると小降りだった雨が上がっていた。

「雨あがったなー」
「そうだな」
「これで大佐の無能度も少しは下がるってもんだな」
「いいかげんにしないとその無能な技で炭にするぞ」
「やれるもんならやってみな」

時と場所を忘れて臨戦態勢に入りかけたその時、遠くから呼びかける声とガシャガシャという音が聞こえてきた。

「兄さーん!」

やっぱりまだここにいたんだと言いながら近づいてくる声と足取りが軽い。

「どうやら助かったようだな」
「・・・あぁ」

弟へ向かって走り出すエドワード。その後姿を眺めてため息をついた。

「やはり弟君には勝てないか」

そして歩き出した先には子ネコの様子を興奮して話すアルフォンスと、なだめるようにしながら嬉しそうに話を聞くエドワード。思い出したように空腹を訴える胃に笑いながら声をかける。

「アルフォンス君。今から食事に行くんだが君も一緒に来ないかね」
「あ、でも僕は食事は」
「報告書以外の話も聞きたいんだってさ。俺もこんなのと二人きりで食事なんてごめんだからさー」
「もう、兄さんったら失礼だよ」

いつも通りのやりとりになんだか笑いの気分が大きくなってくる。

「君も来てレシピを覚えたらいい。君の兄上の背が伸びるかもしれない料理をご馳走することになっているんだ」
「伸びるっつってたじゃねーかー!」
「ほう、実は期待していたな鋼の?」
「あんたの言葉はもう信用しねえーー!!」
「今までは信用されていたのか、そうか、もったいないことをした」
「うがーーっ!!」
「兄さんっ」

雨が上がり、雲のすきまから星が光りだす。
やかましくがなるエドワードとその兄を羽交い絞めにしながら謝るアルフォンスをつれて食事に向かう彼らの頭上に、かすかに月が顔をのぞかせていた。



                               Fin.


                       (多分)2004.12 (再2006.5.31)



「アクアレギア」(デジでは「マーブルジャングル」)の
お二人に捧げたSSです。
贈った後に「コヨリさんの書かれたお話と似てる!!」と
大慌てしたものでした・・・