「耳をうたがう」って、こーゆー状況なのかな・・・
 フラフラになりながら、そんな言葉が頭の中をよぎっていった。



『ヴォイス』前編



「今日もセナ、来なかったっスね」
「きのうはだいぶ良くなったから、来るって言ってたんだけど・・・」
「用心して寝てるなら大丈夫っすよ!」
「そうだよ、いま姉崎さんにうつしたら大変だって気を使うくらいだもの。セナ君なら大丈夫だよ」
「フゴッ!」
 朝練が終わっても顔を見せなかったセナを心配して、今にも帰りそうになったまもりを、栗田とモン太があわててなだめにかかる。三兄弟たちはそうそうに教室に向かったようで、姿が見えない。
「治ってねーのに来やがったら追い返してやる」
 早々に着替え終わり、ノートパソコンを叩いていたヒル魔が低い声でつぶやいた。
 追い返すという単語に怒りかけたものの内容的には賛成だったようで、まもりの開きかけた口は言葉を発しないままに閉じた。
「でも、今年の風邪はタチ悪いってホントっすね」
「毎年言ってる気もするんだけどねー」
「糞チビは体力無さすぎだっつーだけだろ」
「セナはいままで運動とかしてこなかったんだから仕方ないでしょ!」
「それもこれも糞マネが甘やかしすぎたからだろ」
「私はそんな名前じゃありません!」
「「まーまーまーまー」」
 いつものパターンになりかけたところで、栗田とモン太が止めに入った。
「ホラ予鈴が鳴りそうっすよ、まもりさん!」
「行こうよ姉崎さん、ねっ」
「えぇ・・・ セナっ?!」
 うつむいていたまもりが顔を上げたとたん出てきた名前に、その場に居た全員の視線が部室の入り口に集中した。
 そこにいたのは朝の光を背にして、うつむいて立つセナだった。まっ先にまもりが駆け寄り抱きしめた。
「心配してたのよセナ! もう大丈夫なの?」
「大丈夫かー? 無理すんじゃねーぞ」
「良かった、元気になったんだねセナ君!」
 しかし次々にかけられる声にも答えは返らない。うつむいたままの顔は上げられず、しかも小刻みにふるえだした。抱きしめていたまもりが気付き、あわてて覗き込んだ顔は真っ青でつむった目元には涙がにじんでいた。
「完治するまで出てくんなって言ったよな、俺は」
と、部屋の奥から低い声がとどいた瞬間、弾かれたようにセナの顔が上げられた。その目は、ゆっくりと立ち上がるヒル魔から離れない。
「そんな状態で練習しても意味ねーし、他のメンバーにうつされんのもメーワクだ。とっとと帰れ」
「そんな言い方ないでしょ、ヒル魔くん!」
「・・・・・・ヒル魔さん?」
 部室に来て初めて出されたセナの声はかぼそくて聞き取れないほどだったが、その声に答えるかのように目線が上がった。
 次の瞬間。

 ドガッッッ!!!

 セナのタックルでヒル魔は吹っ飛ばされた。

「テメー何しやがる、この糞チビーーー!!!」
「セナに乱暴なことしないで! 早く離れてよっ」
「・・・どっちかっていうと」
「乱暴されてるのはヒル魔先輩っすよね」
 小柄とはいえ、セナのタックルをまともにくらい押し倒され、セナがしがみついて離れないため今もヒル魔は起き上がることも出来ない。
「セナ? 気分が悪いなら保健室に行きましょう? 一緒に行ってあげるから」
 まもりが声をかけてもセナは首を振るばかりで、ますます抱きつく力を強くしていく。
 諦めたようにため息をひとつ吐いて、ヒル魔は体の力を抜いた。
「風邪は治ったのか?」
 こくんと頷きが胸に当たる。
「教室か保健室か。 それとも家に帰るか?」
 ブンブンと首が振られて、クセの強い髪が揺れた。
 セナは何か言ったようだったが、あまりにも小声でヒル魔にしか聞こえなかった。
 そこで予鈴が鳴った。
「テメーら、もう行け」
「でもっ」
「・・・まもり姉ちゃん」
「セナ! 大丈夫? さ、行きましょう」
 聞こえた自分への呼びかけにうれしくなったまもりは、セナの腕に手をかけようとして、振りほどかれた。
「いやっ」
 拒絶の言葉に真っ青になりフラつくまもりを、後ろでモン太があわてて支えた。
「ヒル魔ぁ・・・」
「フゴ〜」
 栗田と小結のとまどう視線にさらに大きなため息をつきながら、ヒル魔がゆっくりと立ち上がる。
「後は俺が面倒を見る。さっさと教室行きやがれ。授業サボって成績落とすなんて許さねぇぞ」
 すごんで見せても腹にセナが張り付いたままなので、イマイチかっこがつかない。抱きつくというよりは「母猿とその腹にしがみつく子猿」を彷彿とさせる姿である。
「うん、お願いするね。じゃあ行こうか、みんな」
 栗田がまわりを促して部室を出て行こうとする。
「まもり姉ちゃん」
 うなだれたまもりがぱっと振り向いた。
「ごめんなさい・・・」
 小さく届いた謝罪の言葉に目をうるませながら、まもりは「・・・セナ、いじめないでよ」とつぶやいて教室へ向かっていった。



 しばらくすると本鈴が鳴り、グランドから聞こえていた他の部活の声も聞こえなくなっていた。
 きつく回されていた腕の力もゆるみ、セナがそろそろと手を外した。
「少しは落ち着いたか」
 頭が小さく揺れる。
「咳がひでぇって聞いてたが、治ったのか」
 また頷きだけが返される。
「じゃあ、しゃべらねえのはなんでだ?」
 ビクッと目に見えるほど肩がはずむ。ずっと伏せられていた顔が上げられる。すがるような、不安と期待が入り混じった大きな目がヒル魔を見つめる。
「ヒル魔さん」
「なんだ」
「僕の声、おかしくないですか?」
「あ?? なにがだ」
 一度ははずした手が、今度は袖口に伸ばされる。
「今までと変わりないですか? 妙に高くとかなってませんか?」
 切羽詰ったようにどんどん声が大きくなっていき、涙までにじんできている。
 何がセナを泣かせようとしているのか分からず、
「特に変わったふうには聞こえねぇ。声がどうした?」
 ヒル魔の答えを聞いて抑えきれずといたように、ついにセナの目から大粒の涙がこぼれはじめた。
「やっぱり声じゃないんだ・・・ ヒル魔さぁん、僕っ、僕の耳、おかしくなっちゃったんです〜〜〜っ!!!」
 セナはそう叫ぶと、ヒル魔の胸に顔をうずめてウワァ〜ンと大声で泣きはじめた。
 なかなか泣き止みそうにないセナを抱えて、これは時間がかかりそうだとため息をつきながら頭をなでるしかないヒル魔であった。



                                2006.6.29

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とりあえず「前編」です。
分けるほどの長さじゃないんですけど、
更新のなさにちょっと焦ってみたりして。